四則混合を、先に計算順を決めてから、計算するようにします。こうすると、子どもは、自分が自分をリードしていることに、ボンヤリと気付き始めます。

計算の答えは、

自力で出すものと理解しています。

 

一度も、

「自力で答えを出しなさい」と、

教えられていないのに、

不思議と、

子どもは理解できています。

 

だから、

この理解は、

学習知ではなくて、

体験知です。

 

他の子が、

そうしているのを見ることや、

自分で計算するように突き放されることです。

 

 

子どもの計算力が高まり、

四則混合まで進むと、

計算の答えを自力で出すことの

「自力」のことを、

何となくのレベルから離れて、

「そうできるから」や、

「そうする力があるから」と納得するようです。

 

そして、

このように、

「自力」の理解が

質的に変化することで、

内面の広い世界に

進むとはなく進み始めるようです。

 

つまり、

「そうできる」のは自分自身であることや、

「そうする力がある」のも、

同様に、自分自身であることを、

「うん、なるほど」と納得することで、

自分自身とは、

自分の内面の世界であることに、

気付くようです。

 

そしてさらに、

主体性の率先力や、

主体性の自己責任や、

自分が自分をリードしていることなどの

人の持つ内面的生活圏の

驚くべき力が眠る世界を、

何となく感じ始めるようです。

 

 

四則混合の答えの出し方を、

① 計算順を決めること、

② 個々の計算を、

それぞれ別の余白で計算することの

2つに分けることが、

自力の捉え方を、

質的に変化させるようです。

 

それまでの

ただ計算しているレベルからの飛躍です。

 

このようなことを起こせますから、

四則混合が、

小学校の算数のまとめになるだけでなく、

中学からの数学の導入になります。

 

(基本  {\normalsize {α}} -1720)、(分数  {\normalsize {α}} -661)