教えることの狙いは、
都市伝説のように、
外れることが多いようです。
例えば、
7+5= のようなたし算の
数えて答えを出す計算です。
教える目的は、
子どもが、
自力で答えを出せるようになることです。
7+5= の 7 を見ること、
5 を見ること、
8、9、10、11、12 と数えること、
= の右を見ること、
7+5=12 と、12 を書くことが、
自力でできるようになれば、
子どもは、
自力で答えを出せます。
7+5= の答え 12 の出し方を
教えることが、
教える狙いではありません。
自力で答えを出せるように育つことが、
教える目的です。
自力とは、
子どもが、
子ども自身をリードできることです。
でも、
自分自身のリードの仕方は、
教えようがないのです。
こちらが、
こちら自身をリードしている様子を見せて、
自分自身のリードの仕方を、
盗み取ってもらうような類いなのです。
自分自身のリードの仕方を、
どうにか言葉で何かを教えたとしても、
教えられた子どもは、
「なるほど、そうすれば、
自分自身をリードできるのか」と
なることはないはずです。
こちらが、こちら自身を、
リードしている様子を見せるのですから、
7+5= の 7 を見て、
5 を見て、
8、9、10、11、12 と数えて、
= の右を見て、
7+5=12 と、12 を書くことが、
あるスピードで流れています。
こちらが、こちら自身を、
リードしている様子を見せて、
盗み取らせる教え方には、
本質的に、
することだけではなくて、
一連のすることの流れのスピードも含まれます。
することだけを
盗み取らせることが、
見せる狙いではありません。
一連のすることの流れのスピードを
盗み取らせることも、
見せる狙いなのです。
なお、
ここは経験則ですが、
一連のすることの流れのスピードは、
かなりの速さで
一定がお勧めです。
緩急のスピードや、
全体に遅いスピードは
子どもに嫌われます。
(基本 -1741)、(+- -982)