子どもの集中が切れて、たし算 4+7= で止まっています。誰かが、答えを出すことを待っているたし算です。こちらが、誰かになってしまいます。

集中が切れて、

計算から離れている子の

止まったままのたし算の答えを、

こちらが出してしまいます。

 

子どもを手伝うのではなくて、

純粋に、こちらが答えを出すだけです。

 

「あなたに代わって、答えを出します」ではなくて、

「私が答えを出します」だけです。

 

 

集中が切れている子が、

こちらの答えの出し方を見ようが見まいが、

聞いていようが聞いていなかろうが、

注意を向けようが向けまいが、

子どもの勝手です。

 

子どもをコントロールする気持ちゼロです。

 

ただ単に、

こちらが答えを出してしまいます。

 

集中が切れて、

計算から離れているのですが、

そのようなことをまったく気にしないで、

誰かが、答えを出すことを待っているたし算が、

こちらの目の前にあるから

答えを出そうとしているだけです。

 

 

止まっているたし算  4+7=  の

4 を示して、

「し」と言って、

7 を示して、

「ご、ろく、しち、はち、く、じゅう、じゅういち」と言って、

= の右を示して、

「ここ、じゅういち(11)」と言います。

 

このような実況中継型リードを、

子どもにしたら、

まったく突然のようになのですが、

こちらは、答えを出そうとしていますから、

ただ答えを出すために、

淡々と行ってしまいます。

 

こちらが勝手に行っていることです。

 

すべて、

こちら自身に向けた自分メッセージです。

 

 

自分メッセージですから、

「ここ、じゅういち(11)」と言って、

子どもに書いてもらおうとしても、

書かないようでしたら、

こちらが書いてしまいます。

 

こちらが答えを出そうとしています。

 

こちらが勝手に行っています。

 

鉛筆を持った子どもの手を

そっと優しく包み持って、

答え 11 を、

こちらが書くつもりで、

4+7=11  と書いてしまいます。

 

何から何まですべて

こちら自身に向けた自分メッセージなのです。

 

だから、子どもは受け入れてくれるのです。

 

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