子どもは、正しい答えを書いています。ただし、その子の正しいです。

「正しく計算した」と思っている子を、

算数の共通の正しさへリードします。

 

「正しさ」から、

「正しさ」へリードします。

 

だから子どもは、

こちらのリードを夢中になって受け入れます。

 

真剣になって学びます。

 

数秒間や

数分間の短時間で、

こちらが導く「正しさ」を学びます。

 

 

さて、

子どもは、

計算して答えを出しています。

 

「間違った答え」を出していません。

書いていません。

 

「間違い」と

子ども自身分かっていて、

そして、「間違い」と気付いていながら

それでも、

「間違い」答えを書くようなことを

子どもはしません。

 

子どもは、

「正しい答え」を書いたのです。

 

 

でも、

その子の「正しい」です。

 

算数の計算としての「正しい」でなければ、

こちらの評価は、

〇 ではなくて、

× です。

 

それでも、

この子は、

「正しい答え」を書いていますから、

こちらは、

間違えていると解釈しないのです。

 

評価は、

〇 ではなくて、

× を付けますが、

「間違えている」ではなくて、

「その子の正しい」です。

 

 

つまり、

「出す学び」では、

「正しい」が幾通りもあるのです。

 

「入れる学び」の

「正しい」は一つと比べて、

大きく違います。

 

もちろん、

先生の話の聞き違いや、

理解の仕方の間違いで、

その子だけの「正しい」になることがあります。

 

 

こちらは、

算数や数学の計算問題の

「出す学び」の「出し方」を教えます。

 

何種類もの「正しい」を認めることが、

子どもの気持ちを尊重する前提です。

 

理解することが難しい内容です。

 

このことを理解することで、

理解以前とは

まったく違う指導をすることができます。

 

 

例えば、

 {\Large\frac{1}{4}} {\Large\frac{1}{5}} {\Large\frac{2}{9}}  と計算して、

「これでいいの?」と聞く子です。

 

 {\Large\frac{1}{4}} {\Large\frac{1}{5}} {\Large\frac{2}{9}}  は、

この子の「正しい」です。

 

 

算数の計算としての「正しい」は、

 {\Large\frac{1}{4}} {\Large\frac{1}{5}} {\Large\frac{5}{20}} {\Large\frac{4}{20}} {\Large\frac{9}{20}}  です。

 

この子の「正しい」 :  {\Large\frac{1}{4}} {\Large\frac{1}{5}} {\Large\frac{2}{9}}  から、

算数の計算としての「正しい」 :

 {\Large\frac{1}{4}} {\Large\frac{1}{5}} {\Large\frac{5}{20}} {\Large\frac{4}{20}} {\Large\frac{9}{20}}  へリードします。

 

「正しさ」から、

「正しさ」へリードしますから、子どもは、

こちらのリードを夢中になって受け入れます。

 

(基本  {\normalsize {α}} -1815)、(分数  {\normalsize {α}} -685)