自力で答えを出そうとしているはずの子どもから、「こうやるの?」と、説明を求められます。強引に、「出す学び」に連れて行きます。

43÷5=  で、

43 の 3 を隠して、

「こうやるの?」と聞く子です。

 

聞かれた私は、

内面の奥深くで、

「困った」、

「まだ、学びのパラダイム

入れ替わっていない」と、

自らに気合いを入れ直します。

 

 

聞いた子への指導は、ワンパターンで、

「はち(8)、あまり、さん(3)」と、

即リードして、

子どもが、あっけにとられていたら、

43÷5=  の = の右を示して、

「はち(8)」と言って、

子どもに、43÷5=8  と書かせてしまい、

そして、

「点点点、さん(3)」で、

43÷5=8・・・3  と書かせてしまいます。

 

つまり、

「こうやるの?」と聞いた子の質問の内容を

まったく無視しています。

 

 

少し補足説明をします。

 

43÷5=  の 43 の 3 を隠して、

「こうやるの?」と聞いた子は、

「入れる学び」のパラダイムです。

 

言葉で説明されて、

学習知を得て、

それを理解してから、

理解の応用問題として、

43÷5=  を計算しようとしている態度です。

 

 

こちらが、「入れる学び」であれば、

「いい質問だ!」や、

「面白いところに気が付いたね」のような感じで、

この子は受け止められて、

43÷5=  の 43 の 3 を隠す問題は、

どのようなときなのかを考えさせるようなヒントを、

例えば、

4 と、5 を示して、

「どちらが大きい?」、

「割る数が大きいときのわり算の

答えはどうなるだろうか?」のようなヒントを、

この子は出されて、

アレコレと考えさせられるでしょう。

 

でも、この子は、

子どもの内面のリーダーを、

「出す学び」で育てようとしているこちらに、

学習知を得るための質問をしたから、

哀れにも無視されて、

まったく見当違いの回答、

「はち(8)、あまり、さん(3)」のようなことを

突然に返されることで、

しかも、

これだけではなくて、

次々に休む間も、考える間もなくリードされて、

43÷5=8  と書かされて、

43÷5=8・・・3  と書かされてしまいます。

 

一瞬にして、

「入れる学び」を粉々に粉砕されてしまい、

強引に、新しいパラダイム

「出す学び」を体験させられるのですから

災難のような、驚きのような、

「えっ、何」と、目が覚める思いなのでしょう。

 

でも、

このくらい強引にリードしなければ、

「出す学び」に移れないのです。

 

(基本  {\normalsize {α}} -2019)、(×÷  {\normalsize {α}} -325)