筆算のかけ算の繰り上がりのたし算を、頭の中に見て計算します。・・・・・・続きます。

{\normalsize{\begin{array}{rr} 78 \\\:\times\:\:\: 7 \\ \hline \end{array}}}\\  の計算の流れは、7×8=56  のかけ算と、7×7=49  のかけ算と、49+5=54  のたし算の順です。

 

かけ算  7×8=56  の 7 と 8 は、計算問題  {\normalsize{\begin{array}{rr} 78 \\\:\times\:\:\: 7 \\ \hline \end{array}}}\  に見えていて、56 を頭の中に見て、{\normalsize{\begin{array}{rr} 78\\\:\times\:\:\: 7 \\ \hline \:\:\:6\end{array}}}\\  と書いて、頭の中に見ている 56 を、5に書き換えます。

 

続くかけ算  7×7=49  の 7 と 7 は、計算問題  {\normalsize{\begin{array}{rr} 78\\\:\times\:\:\: 7 \\ \hline \:\:\:6\end{array}}}\\  に見えていて、49 を頭の中に見て、すでに頭の中に見ている 5 とから、

49+5=  を頭の中で生み出して、49+5=54  と足して、{\normalsize{\begin{array}{rr} 78 \\ \times  \:\:\: 7 \\\hline 546 \end{array}}}\\  と書きます。

 

頭の中で生み出す  49+5=  が、暗算形式なのか、筆算形式   {\normalsize { \begin{array}{rr} 49 \\ +\:\:\: 5 \\ \hline \end{array} }} \\  なのか、こちら自身、ハッキリとしていません。

 

ですから、筆算のかけ算の繰り上がりのたし算を、実況中継型リードで、教えようがないのです。

 

続きます。

子どもを意のままに動かそうとすれば、必ず、意のままにしたい対象がアレコレと増えてしまいます。・・・・・・完結です。

どのようなことであろうとも、こちらが、子どもを意のままにしようとしたら、コントロール魔になってしまいます。理由は、子どもは、こちら自身ではない他人だからです。

 

子どもを意のままにするの「意のまま」の内容が、何から何まで 100%こちらと同じように・・・は、無理な話です。

 

 

例えば、5+7=、6+2=、9+5=  のようなたし算150問を練習中の子の「計算スピード」を、「意のまま」の内容とします。

 

子どもの計算は、数える計算です。5+7=  の 5 から、+7 の 7回、6、7、8、9、10、11、12 と数えて、答え 12 を出す計算です。

 

この計算の「計算スピード」を、こちらが見せる実況中継型リードの「計算スピード」と、同じくらいの速さを、「意のまま」の内容とします。

 

そして、速いスピードの実況中継型リードで、繰り返しリードすることで、子どもの「計算スピード」が、実況中継型リードの「計算スピード」と、ほぼ同じような速さになったとします。

 

すると必ず、子どものしていることで、別の新しい「意のまま」にしたい何かが、気になり始めます。子どもが、こちら自身ではない他人だから、際限がないのです。

 

いくらでも、別の新しい「意のまま」にしたい何かが、あるのです。コントロール魔そのものです。

 

こちら自身ではない他人の子どもを、何かで、意のままにしようとすれば、こうなる危険があります。

 

続きます。

 

5+7=、6+2=、9+5=  のようなたし算150問を「やる」と決めて、鉛筆、問題集を出して、椅子に座って、1問目の答えを出すまでの取り掛かりの手際の良さを、コントロールの対象にすることもあります。

 

たし算150問の途中で集中が切れてボ~ッとすることがあります。短時間でたし算150問の途中であることに気付いて、数える計算に戻ることをコントロールの対象にすることもあります。

 

さらには、やる気のような気持ちまで、コントロールの対象にすることもあります。

 

このように、意のままにしたい対象がアレコレと増えてしまいます。

子どもを意のままに動かそうとすれば、必ず、意のままにしたい対象がアレコレと増えてしまいます。・・・・・・続きます。

どのようなことであろうとも、こちらが、子どもを意のままにしようとしたら、コントロール魔になってしまいます。理由は、子どもは、こちら自身ではない他人だからです。

 

子どもを意のままにするの「意のまま」の内容が、何から何まで 100%こちらと同じように・・・は、無理な話です。

 

 

例えば、5+7=、6+2=、9+5=  のようなたし算150問を練習中の子の「計算スピード」を、「意のまま」の内容とします。

 

子どもの計算は、数える計算です。5+7=  の 5 から、+7 の 7回、6、7、8、9、10、11、12 と数えて、答え 12 を出す計算です。

 

この計算の「計算スピード」を、こちらが見せる実況中継型リードの「計算スピード」と、同じくらいの速さを、「意のまま」の内容とします。

 

そして、速いスピードの実況中継型リードで、繰り返しリードすることで、子どもの「計算スピード」が、実況中継型リードの「計算スピード」と、ほぼ同じような速さになったとします。

 

すると必ず、子どものしていることで、別の新しい「意のまま」にしたい何かが、気になり始めます。子どもが、こちら自身ではない他人だから、際限がないのです。

 

いくらでも、別の新しい「意のまま」にしたい何かが、あるのです。コントロール魔そのものです。

 

こちら自身ではない他人の子どもを、何かで、意のままにしようとすれば、こうなる危険があります。

 

続きます。

速いスピードの実況中継型リードを見せるだけで、子どもは、速いスピードをまねして、計算スピードが速くなります。・・・・・・完結です。

{\normalsize{\begin{array}{rr} 26 \\\:\times\:\:\: 4 \\ \hline \end{array}}}\\  の計算の流れをつかみ、自力で答えを出せるようになった子は、4×6=24  の 2 と、4×2=8  の 8 を足す繰り上がりのたし算  8+2=  で、答え 10 が出るまで、計算が止まったように見えるほど、計算のスピードが遅くなっています。

 

速いスピードの実況中継型リードを、繰り返し見せてリードすれば、子どもの計算スピードは、こちらの実況中継型リードくらいまで、自然に速くなります。速いスピードの実況中継型リードを、繰り返し見せるだけでいいのです。

 

さて、{\normalsize{\begin{array}{rr} 26 \\\:\times\:\:\: 4 \\ \hline \end{array}}}\\  の計算の流れをつかみ、自力で答えを出せるようになり、繰り上がりのたし算  8+2=  の答え 10 を、楽に出せるようになっても、一度、落ちてしまった計算スピードは、遅くなったままです。

 

自然に、計算スピードは、速くなりません。楽に計算できても、速いスピードにはなりません。

 

続きます。

 

 

{\normalsize{\begin{array}{rr} 26 \\\:\times\:\:\: 4 \\ \hline \end{array}}}\\  の繰り上がりのたし算  8+2=  の答え 10 を、楽に出せるようになっても、計算スピードは、遅くなったままです。自然に、速いスピードに戻りません。

 

繰り上がりのたし算  8+2=10  の計算スピードを速くするために、速いスピードの実況中継型リードを、繰り返し見せます。

 

まねすることが好きな子どもには、まねするための動画見本:実況中継型リードを、速いスピードにすればいいのです。

 

それでも、速いスピードをまねしようとしない子には、速いスピードで  8+2=  と余白に、書いて、書いたらすぐ、「じゅう」と歯切れよい早口で言ってしまいます。

速いスピードの実況中継型リードを見せるだけで、子どもは、速いスピードをまねして、計算スピードが速くなります。・・・・・・続きます。

{\normalsize{\begin{array}{rr} 26 \\\:\times\:\:\: 4 \\ \hline \end{array}}}\\  の計算の流れをつかみ、自力で答えを出せるようになった子は、4×6=24  の 2 と、4×2=8  の 8 を足す繰り上がりのたし算  8+2=  で、答え 10 が出るまで、計算が止まったように見えるほど、計算のスピードが遅くなっています。

 

速いスピードの実況中継型リードを、繰り返し見せてリードすれば、子どもの計算スピードは、こちらの実況中継型リードくらいまで、自然に速くなります。速いスピードの実況中継型リードを、繰り返し見せるだけでいいのです。

 

 

さて、{\normalsize{\begin{array}{rr} 26 \\\:\times\:\:\: 4 \\ \hline \end{array}}}\\  の計算の流れをつかみ、自力で答えを出せるようになり、繰り上がりのたし算  8+2=  の答え 10 を、楽に出せるようになっても、一度、落ちてしまった計算スピードは、遅くなったままです。

 

自然に、計算スピードは、速くなりません。楽に計算できても、速いスピードにはなりません。

 

続きます。

自分自身を「ダメな子」と思っている子に、見返りをまったく求めない愛で寄り添います。・・・・・・完結です。

心のどこかで、「価値のない子だ」や、「愛されることなどない」と、自分自身のことを、思うとはなく思っている子です。学校の算数の授業に、付いていけないようです。

 

でも、頭はクルクルと活発に動くようです。だから、いたずらが大好きです。計算問題に真剣に取り組むよりも、アレコレといたずらをしてしまいます。

 

嘘だと分かるような嘘を、真顔で、平気に口にします。このような子です。愛すべき子なのです。

 

かわいそうではなくて、気の毒でもなくて、何とかしてあげたい・・・ではなくて、純粋に、愛すべき子なのです。無条件の愛で愛したくなる子です。

 

 

このような子に、見返りを一切求めない無条件の愛を示すシンプルな方法は、すぐ横に寄り添うことです。

 

そして、ただ計算問題の答えを、速いスピードの実況中継型リードで、こちらが出してしまうことです。

 

続きます。

 

 

自分の価値を育てることは、子ども次第です。いつでもできます。誰かを愛すことも子ども次第です。いつでもできます。

 

言葉で説明しても、理解されることは難しいでしょう。ですから、その子に見合った算数の計算問題で、自分の価値を育てる体験をさせてしまいます。それが、計算問題の答えを、速いスピードの実況中継型リードで、こちらが出してしまうことです。

 

例えば、8+5=  のような暗算のたし算です。テキパキとした速いスピードの動きで、8 を示して、「はち」と言って、5 を示して、「く、じゅう、じゅういち、じゅうに、じゅうさん」と言って、= の右を示して、「ここ、じゅうさん」と言って、子どもが、8+5=13  と書きます。

 

200問くらいを、10分くらいで終わらせるように実況中継型リードで手伝えば、子どもの価値が育ち始めます。

 

こちらの子どもを見る目は、見返りを一切求めない無条件の愛です。子どもが何をしても、「うん」や、「そう」と受け入れてしまいます。子どもを真剣に正しく理解するためです。

自分自身を「ダメな子」と思っている子に、見返りをまったく求めない愛で寄り添います。・・・・・・続きます。

心のどこかで、「価値のない子だ」や、「愛されることなどない」と、自分自身のことを、思うとはなく思っている子です。学校の算数の授業に、付いていけないようです。

 

でも、頭はクルクルと活発に動くようです。だから、いたずらが大好きです。計算問題に真剣に取り組むよりも、アレコレといたずらをしてしまいます。

 

嘘だと分かるような嘘を、真顔で、平気に口にします。このような子です。愛すべき子なのです。

 

かわいそうではなくて、気の毒でもなくて、何とかしてあげたい・・・ではなくて、純粋に、愛すべき子なのです。無条件の愛で愛したくなる子です。

 

 

このような子に、見返りを一切求めない無条件の愛を示すシンプルな方法は、すぐ横に寄り添うことです。

 

そして、ただ計算問題の答えを、速いスピードの実況中継型リードで、こちらが出してしまうことです。

 

続きます。