どのようなことであろうとも、こちらが、子どもを意のままにしようとしたら、コントロール魔になってしまいます。理由は、子どもは、こちら自身ではない他人だからです。
子どもを意のままにするの「意のまま」の内容が、何から何まで 100%こちらと同じように・・・は、無理な話です。
例えば、5+7=、6+2=、9+5= のようなたし算150問を練習中の子の「計算スピード」を、「意のまま」の内容とします。
子どもの計算は、数える計算です。5+7= の 5 から、+7 の 7回、6、7、8、9、10、11、12 と数えて、答え 12 を出す計算です。
この計算の「計算スピード」を、こちらが見せる実況中継型リードの「計算スピード」と、同じくらいの速さを、「意のまま」の内容とします。
そして、速いスピードの実況中継型リードで、繰り返しリードすることで、子どもの「計算スピード」が、実況中継型リードの「計算スピード」と、ほぼ同じような速さになったとします。
すると必ず、子どものしていることで、別の新しい「意のまま」にしたい何かが、気になり始めます。子どもが、こちら自身ではない他人だから、際限がないのです。
いくらでも、別の新しい「意のまま」にしたい何かが、あるのです。コントロール魔そのものです。
こちら自身ではない他人の子どもを、何かで、意のままにしようとすれば、こうなる危険があります。
続きます。
5+7=、6+2=、9+5= のようなたし算150問を「やる」と決めて、鉛筆、問題集を出して、椅子に座って、1問目の答えを出すまでの取り掛かりの手際の良さを、コントロールの対象にすることもあります。
たし算150問の途中で集中が切れてボ~ッとすることがあります。短時間でたし算150問の途中であることに気付いて、数える計算に戻ることをコントロールの対象にすることもあります。
さらには、やる気のような気持ちまで、コントロールの対象にすることもあります。
このように、意のままにしたい対象がアレコレと増えてしまいます。