筆算のたし算 や、
筆算のひき算 や、
筆算のかけ算 は、
「何から何までまったく同じ」ではなくて、
違いがありながらも、
「同じような計算」が繰り返されます。
暗算のたし算 8+5= や、
暗算のひき算 9-3= にも、
「何から何までまったく同じ」ではなくて、
違いがありながらも、
「同じような」計算が繰り返されますが、
意識することが難しいようです。
筆算の計算になると、
暗算の計算が
何回か繰り返されていることに気付きます。
だから、
筆算の計算になると、
違いがありながらも、
「同じような暗算の計算」が
繰り返されていることに気付くようです。
暗算のたし算 8+5= の数える計算は、
8 を見て、
数唱の次の 9 から、
+5 の 5回、
9、10、11、12、13 と数えて、
答え 13 を出します。
違いがありながらも、
「同じような計算」が繰り返されているのが、
暗算のたし算です。
ですから、
違いがありながらも、
「同じような計算」を子どもが、
「そうか、分かった」とつかめば、
自力で計算できます。
つまり、
何が分かったのかの「何」は、
「違いがありながらも、同じような計算」です。
同じことが、
暗算のひき算 9-3= にも言えます。
暗算のひき算 9-3= の数える計算は、
9 を見て、
数唱の逆の順の次の 8 から、
-3 の 3回、
数唱の逆の順に、
8、7、6 と数えて、
答え 6 を出します。
ここでもやはり、
違いがありながらも、
「同じような計算」が繰り返されています。
そして、
違いがありながらも、
「同じような計算」を子どもが、
「そうか、分かった」とつかめば、
自力で計算できます。
やはり、
何が分かったのかの「何」は、
「違いがありながらも、同じような計算」です。
でも、
暗算のたし算や、
暗算のひき算の
違いがありながらも、
「同じような計算」は
意識することが難しいようです。
自力で答えを出すとき、
子どもが利用していますが、
無意識の利用です。
それが、
筆算の計算になると、
同じような暗算の計算が繰り返されていると、
意識することが、できるようです。
(基本 -1532)、(+- -847)
(×÷ -263)