一定に固定した実況中継型リードを、繰り返し見ることで、違いがありながら、同じような計算を、子どもはつかみ取ります。つかみ取ったとき、「分かった」、「もうできる」と変わります。

筆算のたし算   {\normalsize { \begin{array}{rr} 563 \\ +\: 279 \\ \hline \end{array} }} \\  や、

筆算のひき算   {\normalsize { \begin{array}{rr} \:\:\:\:403 \\ - \: 158 \\ \hline \end{array} }} \\  や、

筆算のかけ算  {\normalsize {\begin{array}{rr}\:523 \\ \:\:\times\:\:\:\:\:\: 7\\ \hline \end{array}}}\\  は、

「何から何までまったく同じ」ではなくて、

違いがありながらも、

「同じような計算」が繰り返されます。

 

暗算のたし算  8+5=  や、

暗算のひき算  9-3=  にも、

「何から何までまったく同じ」ではなくて、

違いがありながらも、

「同じような」計算が繰り返されますが、

意識することが難しいようです。

 

筆算の計算になると、

暗算の計算が

何回か繰り返されていることに気付きます。

 

だから、

筆算の計算になると、

違いがありながらも、

「同じような暗算の計算」が

繰り返されていることに気付くようです。

 

 

暗算のたし算  8+5=  の数える計算は、

8 を見て、

数唱の次の 9 から、

+5 の 5回、

9、10、11、12、13 と数えて、

答え 13 を出します。

 

違いがありながらも、

「同じような計算」が繰り返されているのが、

暗算のたし算です。

 

ですから、

違いがありながらも、

「同じような計算」を子どもが、

「そうか、分かった」とつかめば、

自力で計算できます。

 

つまり、

何が分かったのかの「何」は、

「違いがありながらも、同じような計算」です。

 

 

同じことが、

暗算のひき算  9-3=  にも言えます。

 

暗算のひき算  9-3=  の数える計算は、

9 を見て、

数唱の逆の順の次の 8 から、

-3 の 3回、

数唱の逆の順に、

8、7、6 と数えて、

答え 6 を出します。

 

ここでもやはり、

違いがありながらも、

「同じような計算」が繰り返されています。

 

そして、

違いがありながらも、

「同じような計算」を子どもが、

「そうか、分かった」とつかめば、

自力で計算できます。

 

やはり、

何が分かったのかの「何」は、

「違いがありながらも、同じような計算」です。

 

 

でも、

暗算のたし算や、

暗算のひき算の

違いがありながらも、

「同じような計算」は

意識することが難しいようです。

 

自力で答えを出すとき、

子どもが利用していますが、

無意識の利用です。

 

 

それが、

筆算の計算になると、

同じような暗算の計算が繰り返されていると、

意識することが、できるようです。

 

(基本  {\normalsize {α}} -1532)、(+-  {\normalsize {α}} -847)

(×÷  {\normalsize {α}} -263)