2けたの筆算のたし算を、左(十の位)から足すことと、その計算スピードは、無関係です。左から足すことを、この子自身が選んだように、計算のスピードも、計算の仕方と無関係に、この子自身が選んでいます。

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 68 \\ +\: 47 \\ \hline115\end{array} }} \\  の答え 115 を、

百の位(左)から書く子です。

 

十の位のたし算  6+4=10  を、

一の位のたし算  8+7=15  よりも、

先に計算します。

 

 

十の位のたし算  6+4=10  の答え 10 を、

このまま書いていいのは、

一の位のたし算から、

繰り上がりがないときです。

 

一の位のたし算から繰り上がりがあれば、

1 増えて、

10 が、11 になります。

 

十の位のたし算を先に計算していますから、

10 をそのまま書いていいのか、

1 増やして、11 を書くのかは、

まだ、どちらとも言えません。

 

10 のままであろうが、

11 に変わろうが、

十の位の 1 を書くことはできます。

 

だから、この子は、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 68 \\ +\: 47 \\ \hline1\,\:\:\:\:\:\:\end{array} }} \\  と書いて、

そして、

一の位のたし算に移ります。

 

 

一の位のたし算は、

8+7=15  です。

 

これで、

十の位のたし算  6+4=10  は、

10+1=11  となり、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 68 \\ +\: 47 \\ \hline115\end{array} }} \\  と書くことができます。

 

 

さて、

このように、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 68 \\ +\: 47 \\ \hline \end{array} }} \\  を、

左の十の位から足すのは、

この子自身の計算の仕方で、

この子がコントロールできることです。

 

でも、

こちらには、

「左から足している・・・」と気になりますが、

まったくコントロールできないことです。

 

このように、

この子がコントロールできることと、

こちらは、

気にすることだけしかできなくて、

コントロールできないことを、

ハッキリと区別します。

 

このように区別したのは、

左(十の位)から足す計算なのか、

それとも、

右(一の位)から足す計算なのかです。

 

 

計算のスピードは、

実は、

この子自身だけではなくて、

こちらもコントロールできることです。

 

だから、

こちらが、

この子の計算をソックリまねして、

でも、この子の計算スピードよりも、

もっと速い計算スピードで、

この子の左から足す計算を

リードすることができます。

 

コントロールできないのは、

計算の仕方だけで、

計算スピードは、

こちらも、

子ども自身もコントロールできるからです。

 

 

面白いことに、

左から足すこの子は、

計算スピードをコントロールできると

思っていないようです。

 

今現在の計算スピードを、

速めることができると、

思ったこともないようです。

 

この子の今の計算スピードは、

左から足すこととは無関係に、

かなりの範囲で自由に選ぶことができて、

自分でコントロールできることに、

少しも気付いていません。

 

 

こう感じている子に、

こちらが速いスピードでリードして、

この子に、

速いスピードの左から足す計算を体験させます。

 

すると、

「えっ、こんなに速く計算できるの?」と

驚くようですが、

目の前で見ているのは、

自分とまったく同じ計算の仕方で、

でも、とても速いスピードなのです。

 

「百聞は一見にしかず」ですから、

左から足すこの子は、

目の前で見ている速いスピードを、

架空の出来事としてではなく、

現実の速いスピードとして受け入れます。

 

(基本 {\normalsize {α}} -880)、(+-  {\normalsize {α}} -469)