「2けた×1けた」のかけ算の計算の流れを、子どもがつかんだのかどうか、的確に評価できる体験知を持つことができます。

{\normalsize{\begin{array}{rr} 37\\\:\times\:\:\: 6 \\ \hline \end{array}}}\\  の計算の流れは、

6×7=42  と掛けて、

{\normalsize{\begin{array}{rr} 37 \\\:\times\:\:\: 6 \\ \hline \:\:\:2\end{array}}}\\  と書いて、

4 を覚えて、

6×3=18  と掛けて、

18+4=22  と足して、

{\normalsize{\begin{array}{rr} 37 \\ \times  \:\:\: 6 \\\hline 222 \end{array}}}\\  と書くことです。

 

{\normalsize{\begin{array}{rr} 37\\\:\times\:\:\: 6 \\ \hline \end{array}}}\\  の計算の

6×7=42  と掛けることから、

{\normalsize{\begin{array}{rr} 37 \\ \times  \:\:\: 6 \\\hline 222 \end{array}}}\\  と書くまでの流れを、

繰り返し計算する体験から

「答えの出し方」の体験知としてつかめたとき、

子どもは、「分かった」となって、

自力でスラスラと計算できるようになります。

 

と、

このようなことを読んで理解できたら、

教える体験の裏付けがありませんから、

知っただけの学習知です。

 

 

実際に、

{\normalsize{\begin{array}{rr} 37\\\:\times\:\:\: 6 \\ \hline \end{array}}}\\  のような「2けた×1けた」のかけ算を

繰り返し計算している子が、

「分かった」や、

「もうできる」のように言ったときの前後で、

子どもの鉛筆の動き方を観察します。

 

地に足が付いたような感じの

ドッシリと安定した鉛筆の動き方を

観察できるはずです。

 

もちろん、

「地に足が付いたような感じの

ドッシリと安定した鉛筆の動き方」は、

子どもの鉛筆の動き方を表現する一例です。

 

その正体は、

観察する体験から得られる体験知ですから、

言葉にすることが、とても難しい内容です。

 

言葉にすることが難しいだけで、

観察した体験からの体験知ですから、

子どもの鉛筆の動き方を見れば、

「2けた×1けた」のかけ算の計算の流れを

つかんでしまったのか、

あるいは、つかむ前なのかを、

的確に評価できるはずです。

 

(基本  {\normalsize {α}} -1436)、(×÷  {\normalsize {α}} -247)

 

関連:2023年10月03日の私のブログ記事

「「2けた」や、「3けた」や、「4けた」に、

「1けた」を掛けるかけ算は、

計算の流れのような

ボンヤリとした何かがあります。

教えるまでもなく、子どもは自力でつかみます」。