の一の位の 6 と 9 を示して、
「ろく引くく(6-9)、引けない」、
「じゅうろく引くく(16-9)、しち(7)」と言って、
9 の真下の余白を示して、
「ここ、しち(7)」と言うだけの教え方をします。
「一の位の 6 と 9 を、上から下に見ます」、
「上から下を引きます」、
「でも 6-9= は、引けません」、
「隣から 1 を借りて、6 を 16 にします」、
「こうしてから、16-9=7 と引きます」、
「この7 を、 の一の位の答えとして、
9 の真下に書きます」のような説明をしません。
と、
このような教え方を知って理解できても、
実際に教えていませんから、
ただ知っただけの学習知です。
実際に、
教えてみます。
同じ計算問題 であれば、
まったく同じ教え方をできます。
でも、
子どもの反応は、さまざまですから、
と書くとは限りません。
「分からない」と言って、何もしない子、
「教えて」と要求して、待っている子、
ただジッとしてしまう子と、
さまざまな反応をします。
どのような反応であろうが、
子どもが、 と書かないようなら、
の 9 の真下の余白を示したまま、
「しち(7)、書いて」と促します。
「分からない」と言って、何もしない子にも、
「しち(7)、書いて」、
「教えて」と要求して、待っている子にも、
「しち(7)、書いて」、
ただジッとしてしまう子にも、
「しち(7)、書いて」と促します。
こうして、
子どもに、 と書かせてしまいます。
十の位のひき算と続きますが、
この例のような実際の指導のすべてが、
教える体験からの体験知です。
(基本 -1437)、(+- -790)
関連:2023年10月04日の私のブログ記事
「こちら自身が、答えを出している様子を
見せるだけの教え方をするため、
計算の仕方をつかもうとする子は、
必死になってアレコレと考えて、
そしてつかみます。
自動的に学ぶ力も高まります」。