子どもがしていることは、すべて、そうすると決めて、そして、そうしています。無意識であるために、子ども自身、自分が決めていると意識していないことが多いようです。

何回も集中を切らせることや、

100問のたし算を、

ダラダラと計算していることが、

目の前の子どもに起こったら、

「自分が、自分自身をリードしていること」と、

「リードの内容」を

意識して、分けます。

 

つまり、

① 自分自身をリードしていることと、

② リードの内容が、

何回も集中を切らせることや、

100問のたし算を、

ダラダラと計算していることを、

ハッキリと区別して分けます。

 

 

面白いことに、

何回も集中を切らせることや、

100問のたし算を、

ダラダラと計算していることは、

5+4=  や、

2+4=  や、

8+4=  のような 4 を足すたし算 100問の

途中で起こっています。

 

5+4=  の 5 を見て、

+4 の 4 を見て、

6、7、8、9 と 4回数えて、

答え 9 を出して、

5+4=9  と書くような計算をしていることは、

自分をリードしていると、

意識することなく、

淡々としていることです。

 

 

このようなたし算 100問の途中で、

何回も集中を切らせることや、

100問のたし算を、

ダラダラと計算していることを、

子どもが起こしています。

 

集中を切らそうと思うから、

集中を切らすことができます。

 

ダラダラと計算しようと思うから、

ダラダラと計算することができます。

 

たし算 100問を計算しているときに、

子ども自身、無意識であるとしても、

そうしようと決めていなければ、

何回も集中を切らせることや、

100問のたし算を、

ダラダラと計算していることは、

起きようがないのです。

 

 

だから、

何回も集中を切らせることや、

100問のたし算を、

ダラダラと計算していることを

目の前の子が行っていたら、

「しめた」、

「自分をリードしている」、

「リードの内容だけを入れ替えよう」と、

こちらは、

ハッキリと意識しなければならないのです。

 

それから、

5+4=  や、

2+4=  や、

8+4=  のような 4 を足すたし算に

子どもをリードすれば

子どもの内面が育ちます。

 

(基本  {\normalsize {α}} -1534)、(+-  {\normalsize {α}} -848)