「戸惑っている」や、「見慣れていない」計算、30÷2= や、32÷3= を、「少しも分からない」と言います。子どもらしい表現です。

30÷2= や、

32÷3= の計算で、

とても混乱しています。

 

計算の仕方は、

とてもシンプルなのです。

 

2の段や、

3の段の九九を、

×10 や、×15 と広げるだけです。

 

30÷2= でしたら、

2の段の九九の答えから、

30 を探します。

 

この子が知っている2の段の答えは、

2×9=18 の 18 までしかありません。

 

30 の答えがありません。

 

計算するために、

2の段の九九を広げます。

 

2×10=20 、

2×11=22 、

2×12=24 、

2×13=26 、

2×14=28 、

2×15=30 まで広げると、

答え 30 が出てきます。

 

この 2×15=30 を利用して、

30÷2=15 と計算できます。

 

とてもシンプルです。

 

一つ一つは、

この子が理解できることだけです。

 

32÷3= でしたら、

3の段の九九の答えから、

32 を探します。

 

3×9=27 、

3×10=30 、

3×11=33 と、

3の段の九九を広げます。

 

でも、

答え 32 はありません。

 

32 に近い、

30 と、33 があります。

 

そこで、

3×10=30 を利用して、

32÷3=10・・・2 と計算します。

 

やはり、

とてもシンプルです。

 

どの1行も、

子どもが理解できることです。

 

それなのに、

子どもは、「少しも分からない」です。

 

でも、

30÷2= や、

32÷3= の計算の仕方は、

とてもシンプルですから、

「少しも分からない」ではありません。

 

「分かっている」なのですが、

子どもは、

「少しも分からない」と言います。

 

つまり、

「戸惑っている」や、

「見慣れていない」が、

この子の気持ちです。

 

30÷2= を計算するために、

2×15=30 まで、

2の段を広げるのですから、

戸惑うはずです。

 

32÷3= を計算するために、

3×10=30 、

3×11=33 と、

3の段の九九を広げるのです。

 

戸惑いますし、

見慣れていません。

 

それだけのことです。

 

だから、

30÷2= や、

32÷3= の計算が出てきたら、

この子が、「慣れる」まで教えてしまいます。

 

(基本  {\normalsize {α}} -242)、(×÷  {\normalsize {α}} -057)

 

「切れたままの集中を、どのようにしたら戻せるのだろうか?」と考えれば、突然、集中が戻ることに気付いて、そうなるような教え方を選びます。

18÷2=、

21÷3=、

25÷5=、

24÷6=、

32÷8=、・・・。

 

このようなわり算に、

この子は、九九を利用して答えを出します。

 

18÷2= でしたら、

2の段の九九から、

答え 18 を探します。

 

2の段は、順に、

2×1=2 、

2×2=4 、

2×3=6 、

2×4=8 、

2×5=10 、

2×6=12 、

2×7=14 、

2×8=16 、

2×9=18 です。

 

答え 18 は、

2×9 の答えです。

 

これから、

18÷2=9 と計算します。

 

さて、

集中が切れて、

21÷3= で計算が止まっています。

 

このようなとき、

「どうして集中が切れたままなのだろうか?」と、

何となく思う方が多いようです。

 

これはこれで、

この子を伸ばしてあげたい愛行動ですから、

いいことなのですが、

もう少し別のことを思う方が、

この子を育てることになります。

 

「切れたままの集中を、

どのようにしたら戻せるのだろうか?」です。

 

「どうして集中が切れたままなのだろうか?」と、

「切れたままの集中を、

どのようにしたら戻せるのだろうか?」は、

似ていますが、

誰のことなのかが違います。

 

「どうして集中が切れたままなのだろうか?」は、

子どものことです。

 

「切れたままの集中を、

どのようにしたら戻せるのだろうか?」は、

こちらの教え方ですから、

こちらのことです。

 

ですから、

集中が切れて、

21÷3= で計算が止まっている子には、

「切れたままの集中を、

どのようにしたら戻せるのだろうか?」の答えが必要です。

 

「どうしたの?」、

「できるでしょ!」、

「3の段の九九だよ」、

「3×1=3 から言ってみたら・・・」のような

言葉かけの教え方があります。

 

実は、

集中が切れるときは、

突然です。

 

そして、

切れている集中が戻り、

計算し始めるのも突然です。

 

こうなっていますから、

このような言葉かけの教え方は、

突然、集中が戻り・・・と違います。

 

言葉かけがキッカケで集中を戻すのですから、

自力で、突然、集中を戻すときと、

かなり違います。

 

子ども自身、

心の中で、

「どうしたの?」のようにささやいていません。

 

突然、ハッとして、

計算に戻ります。

 

これに近いことのできる教え方があります。

 

突然、

こちらが、

21÷3= の 21 を、無言で示して、

「3×1=3」、

「3×2=6」、

「3×3=9」、

「3×4=12」、

「3×5=15」、

「3×6=18」、

「3×7=21」と、早口で九九を唱えて、

21÷3= の = の右を示して、

「しち(7)」とリードする教え方です。

 

(基本  {\normalsize {α}} -241)、(×÷  {\normalsize {α}} -056)、

 

13-4= の計算を、子どもが、心の中でリハーサルするような教え方をします。子どもの心が育ちます。

15-8= のひき算の計算の仕方を教えます。

 

教える前に、

心の中で、

教え方をアレコレと考えてから、

教え方を決めます。

 

アレコレの例として、

3つの教え方があります。

 

① 15-8= の 15 から、

14、13、12、11、10、9、8、7 と

8回、数字の並びを、

逆向きに戻ります。

 

「いち、に、さん、し、ご、・・・」の数唱を、

逆向きに唱える計算の仕方です。

 

② 15-8= の 8 に何かを足して、

15 にします。

その何かが、答えです。

 

8+7=15 ですから、

15-8= の答えは、7 です。

 

③ 15-8= の 15 を、

10 と、5 に分けて、

10 から、8 を引きます。

 

補数ですから、2 です。

 

この 2 に、

15 を、10 と、5 に分けた 5 を足します。

 

2+5=7 です。

 

このように、

アレコレと計算の仕方を考えて、

「たし算を利用する教え方をする」と、

仮に決めます。

 

15-8= の

「8 に何かを足して、15 にする何か」です。

 

子どもに教えてみて、

嫌がるようでしたら、

別の計算の仕方を教えることにします。

 

さらに、

もう一つ、

心の中で検討します。

 

こちらが、このように

していることと同じようなことを、

子どもに体験させるような教え方を工夫します。

 

つまり、

計算する前に、心の中で、

ひき算の計算をリハーサルして、

その後で、計算することを、

子どもに体験させることができたら、

子どもの心が、大きく育つからです。

 

さて、

たし算を利用する

ひき算の計算の仕方を、

言葉で、

教えることができます。

 

15-8= の

「8 に何かを足して、15 にする何か」を、

たし算を利用して、

アレコレと試します。

 

例えば、

このような言い方です。

 

でも、

こうしてしまうと、

心の中で、計算を

アレコレとリハーサルしません。

 

計算の仕方を知ってしまったからです。

 

だから、

計算をアレコレと、

子どもの心の中でリハーサルさせるには、

計算の仕方を言葉で教えないようにします。

 

そして、

こちらが計算する実況中継を、

見せるだけの教え方をすれば、

自然に、心の中で、

アレコレとリハーサルします。

 

実況中継の一例です。

 

15-8= の 8 を無言で示してから、

= の右を示して、

「しち(7)」と言います。

 

見て聞いている子どもは、

15-8=7 と書きます。

 

子どもは、

見て聞いているだけです。

 

計算していません。

 

ですが自然に、

「どうやっているのだろうか?」のように、

計算の仕方を探っています。

 

こちらの計算の仕方を探ることで、

15-8= の計算の仕方を、

心の中で、アレコレとリハーサルしています。

 

こちらが、

15-8= の教え方を、

心の中で、アレコレと考えたことと、

とても似たことを子どもがしています。

 

さて、

15-8=7 と書いたのを見てから、

8 と、7 と、15 をこの順で示しながら、

「はち、足す、しち、じゅうご(8+7=15)」と教えます。

 

もちろん、

1問、このように実況中継するだけで、

「そうか、分かった」、

「8 に何かを足して、15 にする何かを探す

計算の仕方だ」とならないでしょう。

 

2~3問や、

5~6問、

同じような実況中継を見せます。

 

子どもは、

計算の仕方をアレコレとリハーサルしながら、

見て聞いています。

 

そして、

「そうか、分かった」となります。

 

心の中で、アレコレとリハーサルすることで、

「そうか、分かった」となったとき、

そのひき算、

例えば、

13-4= の計算はリハーサル済みです。

 

4 に、9 を足せば、

13 になることをリハーサルしています。

とてもうれしそうです。

 

こうなると、

自力で、ひき算を計算し始めます。

 

(基本  {\normalsize {α}} -240)、(+-  {\normalsize {α}} -154)

 

6+8=、4+6=、9+5= のようなたし算 10 問を、40 秒くらいの速さで計算して見せると、「わぁ、速い」、「でも、できそうな速さだ」、「やってみよう!」と、子どもを刺激できます。

数えるたし算で、

指を使い始めます。

 

6+5= の 6 を、「ろく」と読み、

パーに広げた手の指を、

親指から小指の方に順に折りながら、

「しち、はち、く、じゅう、じゅういち」と数えて、

6+5=11 と書きます。

 

今のこの子の使える力が、

指で数えることです。

 

指で数えることで、

たし算の答えを、

自力で出すことができます。

 

そして、

繰り返し、指を折って数えると、

指を折って数える能力が育ち、

自然に速く数えることができるようになります。

 

そうですが、

目の前のこの子の

指で数える計算は、

とても遅いのです。

 

これでは、

数えているこの子が、

たし算の計算を嫌いになります。

 

ですから、

もっと速く計算できるように教えたいのですが、

残念ながら、

言葉で、「速い計算」を教えることができません。

 

「もっと速く」と教えても、

言われた子どもは、

何をどうしたらいいのかが分かりません。

 

それでも、

「もっと速く」計算しようとして、

気持ちが焦るだけです。

 

これでは、

子どもを迷わせてしまいます。

 

実は、

指で数えるたし算の

計算のスピードを教える

とても簡単な方法があります。

 

こちらが、

速く指で数える見本を見せることです。

 

6+8= の 6 を示して、

「ろく」と声に出して読み、

8 を示してからすぐ、

鉛筆を持っていない手をパーに広げて、

親指から小指まで、

1本ずつ折りながら、

「しち、はち、く、じゅう、じゅういち」と5回数えて、

続けて、グーになった手の小指から中指まで、

1本ずつ伸ばしながら、

「じゅうに、じゅうさん、じゅうし」と3回数えて、

6+8= の = の右を示して待ちます。

 

見て、聞いていた子どもは、

6+8=14 と書きます。

 

こちらが指で数えるスピードは、

こちら次第で速くできます。

 

こちらが、

子どもにまねしてほしい速さで、

指で数える計算を、

子どもを参加させながら見せます。

 

では、

どのくらいの速さを見せれば、

子どもを刺激して、

「わぁ、速い」、

「でも、できそうな速さだ」、

「やってみよう!」と思わせることができるのでしょうか?

 

経験的な目安ですが、

6+8=、4+6=、9+5=、7+5=、8+8=、

4+8=、6+5=、7+9=、8+5=、4+4=、

このようなたし算 10 問を、

40 秒くらいの速さです。

 

1 分を超えると、

間延びした感じになります。

 

1 分を超えると、

「わぁ、速い」、

「でも、できそうな速さだ」、

「やってみよう!」と、

子どもを刺激することができないようです。

 

(基本  {\normalsize {α}} -239)、(+-  {\normalsize {α}} -153)

 

2020年10月03日(土)~10月09日(金)のダイジェスト。

20年10月03日(土)

 

子どもは、

たし算の計算の仕方を理解するよりも、

自力で計算できるようになる方が好きなようです。

 

 

20年10月04日(日)

 

集中が切れている子に、

うつらうつらしている子に、

イライラして鉛筆に当たり散らしている子に、

こちらが

計算を代行してしまうリードの仕方があります。

 

とても効果的です。

 

 

20年10月05日(月)

 

私語を続けている二人の手元を見て、

計算が止まっている子の計算を

手伝って動かします。

 

私語のことを少しも気にしません。

 

 

20年10月06日(火)

 

話しに夢中で「とても楽しそう」の、

「とても楽しそう」は、

子どもの重要な力です。

 

この気持ちを利用するように、

子どもの計算をリードします。

 

巧みにリードできれば、

計算に戻っても、

話しに夢中の「とても楽しそう」な気持ちが、

残っていることがあります。

 

 

20年10月07日(水)

 

子どもの中に、

子どもをリードするリーダーがいます。

 

このリーダーが数える計算をリードして、

たし算を計算します。

 

でも今、

周りを気にするようにリードして、

たし算を中断します。

 

だから、

子どもの中のリーダーに、

「数える!」と指示して、

計算のリードに戻るように促します。

 

なお、

子どもの中のリーダーは、

ネガティブな言葉を嫌う傾向があります。

 

「計算していない」や、

「周りを気にしない」のような

ネガティブな言葉です。

 

 

20年10月08日(木)

 

たし算 5+7= を見たら、

答え 12 が浮かぶ感覚を持つまで、

子どもは、年単位の長い時間、

少しずつ計算を積み重ねます。

 

その長い時間、

リードするこちらが、

つねに安定していれば、

子どもの心も落ち着いて、

たし算の計算に集中できます。

 

 

20年10月09日(金)

 

自分を見るセルフパラダイムを、

「計算のできる子」に入れ替えたために、

筆算のたし算が、

モタモタしていることに悔し泣き。

 

「育ち」を感じたこちらは、

泣かせておきます。

 

自分を見るセルフパラダイムを、「計算のできる子」に入れ替えたために、筆算のたし算がモタモタしていることに悔し泣き。「育ち」を感じたこちらは、泣かせておきます。

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 45 \\ +\: 23 \\ \hline \end{array} }} \\

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 63 \\ +\: 39 \\ \hline \end{array} }} \\

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 99 \\ +\: 72 \\ \hline \end{array} }} \\ のようなたし算を計算しています。

 

計算の仕方を知っています。

 

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 45 \\ +\: 23 \\ \hline \end{array} }} \\ でしたら、

一の位の 5 と 3 を上から下に見て、

5+3=8 と計算して、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 45 \\ +\: 23 \\ \hline \:\:\:\:8\end{array} }} \\ と書きます。

 

次に、

十の位の 4 と 2 を上から下に見て、

4+2=6 と計算して、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 45 \\ +\: 23 \\ \hline\:\:68\end{array} }} \\ と書いて、答えを出します。

 

繰り上がりのたし算もできます。

 

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 63 \\ +\: 39 \\ \hline \end{array} }} \\ でしたら、

3+9=12 の 2 を書いて、

1 を繰り上がり数として覚えます。

 

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 63 \\ +\: 39 \\ \hline \:\:\:\:2\end{array} }} \\ と書いて、

1 を覚えています。

 

次に、

6+3=9 に、

繰り上がり数 1 を足して、10 にして、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 63 \\ +\: 39 \\ \hline102\end{array} }} \\ と書いて、答えを出します。

 

計算の仕方を知っていますが、

スラスラと計算できる手前です。

 

繰り上がりがあったり、なかったりで、

モタモタしてしまうと、

悔しくて泣きます。

 

やや普通ではない見方ですが、

こちらは、

「育っている!」と、

この子に共感します。

 

実は、

小2のこの子は、

3+9= のようなたし算を、

数カ月前まで、

指で数えて計算していました。

 

ですから、

算数の計算が苦手で、

自分のことを、

「計算ができない子」と見ていました。

 

でも、

数カ月間、

3+9= のようなたし算を、

速く数える練習を繰り返すことで、

指を使わくなりました。

 

自分のことを見る見方は根強くて、

それでもまだ、

「計算ができない子」と見ていたようです。

 

そして、

暗算のたし算の指が取れてから、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 99 \\ +\: 72 \\ \hline \end{array} }} \\ のような筆算を練習し始めると

悔しくて泣くようになりました。

 

とてもいい泣き方です。

 

自分のことを、

「計算のできる子」と見るように、

自分を見るセルフパラダイム

大きく変わったようです。

 

3+9= を指で数えて、

モタモタと計算していたときには、

悔しくて泣いたりしていません。

 

自分を、

「計算ができない子」と見ていて、

指を使って計算しているのですから、

その通りなのです。

 

でも今、

3+9= を見ただけで、

答え 12 が浮かぶようになっています。

 

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 99 \\ +\: 72 \\ \hline \end{array} }} \\ を計算し始めたら、

9+2=11 や、9+7=16 が、

瞬時に計算できるのに、

筆算でモタモタすることが悔しくて、

泣く子に育っています。

 

「計算のできる子」と、

自分を見るようになったこの子は、

筆算でモタモタしている自分が悔しいのです。

 

「育った!」です。

 

ですから、

泣かせておきます。

 

自分のことを、

「計算のできる子」と見ていて、

モタモタしている計算を

悔しがって泣いているのです。

 

この悔し泣きは、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 99 \\ +\: 72 \\ \hline \end{array} }} \\ のようなたし算を、

楽にスラスラと計算できるようになりたいと

強く思っている動機ですから、

泣かせておきます。

 

(基本  {\normalsize {α}} -238)、(+-  {\normalsize {α}} -152)

 

たし算 5+7= を見たら、答え 12 が浮かぶ感覚を持つまで、子どもは、年単位の長い時間、少しずつ計算を積み重ねます。その長い時間、リードするこちらが、つねに安定していれば、子どもの心も落ち着いて、たし算の計算に集中できます。

4+1= 、

3+2= 、

6+5= 、

3+6= 、

9+3= 、

5+7= 、

7+4= 、

2+8= 、

1+9= 、

このようなたし算を計算できる子です。

 

4+1= の 4 を見て、

「し」と読み、

1 を見て、

「ご」と数えれば、

答え 5 が出ます。

 

3+2= の 3 を見て、

「さん」と読み、

2 を見て、

「し、ご」と数えれば、

答え 5 が出ます。

 

6+5= の 6 を見て、

「ろく」と読み、

5 を見て、

「しち、はち、く、じゅう、じゅういち」と数えれば、

答え 11 が出ます。

 

3+6= でしたら、

+ の左の 3 は、

数え初め「さん」であり、

+ の右の 6 は、

数える回数、

「し、ご、ろく、しち、はち、く」であることを、

この子は知っています。

 

ですから、

9+3= を、

「く」、

「じゅう、じゅういち、じゅうに」と計算できます。

 

このように、

たし算の答えを出せるようになっているのに、

それでも計算を続ける目的は、

たし算の感覚を持つためです。

 

5+7= を見たら、

瞬時に、心に、

答え 12 が浮かぶ感覚です。

 

どの子も、

ある一定数のたし算を計算すれば、

たし算の感覚を持つことができるからです。

 

さて、

「ある一定数」とは、

相当に大きな数です。

 

100問や、

200問ではありません。

 

1000問や、

2000問でもありません。

 

大きな個人差がありますが、

10000問や、

20000問のような単位の

大きな「ある一定数」です。

 

ですから、

1日や、2日、

5時間や、10時間、

たし算を計算するくらいの話ではありません。

 

子どもが、

さまざまなことを学ぶ時間の

わずかな一部分の時間を、

算数のたし算に使うのですから、

毎日、5分や10分くらいが現実的です。

 

こうなっていますから、

大きな「ある一定数」のたし算を練習して、

5+7= を見たら、

瞬時に、心に、

答え 12 が浮かぶ感覚をつかむまで、

1年や、

2年の時間がかかってしまいます。

 

このような長い時間をかけて、

たし算の感覚を子どもが持つのですから、

鮮明につかみ取った子どものイメージを持って、

つかみ取るまでの子どもを

リードするようにすれば、

こちらは、どっしりと安定していられます。

 

しかも、

ゴールのイメージを鮮明に持つことで、

目の前の子のネガティブな部分ではなくて、

ポジティブな部分を伸ばそうとします。

 

集中時間が短いことや、

数え間違いが多いことのように、

人は普通、

ネガティブな部分を気にする傾向にあります。

 

そして子どもに、

アレコレとやかまし

ネガティブな部分を指摘してしまいます。

 

でも、

少し先の未来に、必ず、

目の前の子は、たし算の感覚をつかみます。

 

こうなった子を鮮明にイメージできれば、

目の前の子をリードして、

ここに近づけようとします。

 

自然に、

ポジティブな部分を利用して、

子どもを育てるようになります。

 

計算の仕方を知っていることや、

楽にスラスラと計算できることや、

5分や10分は集中できることなどの

ポジティブな部分を育てようとします。

 

このような理由で、

子どもをリードするこちらが、

いつもどっしりと安定していれば、

子どもは安心できます。

 

なお、

つかみ取った子どもの鮮明なイメージを持つ

チョットしたコツがあります。

 

こちらは。

たし算の感覚を持っています。

 

だから、

自分がたし算を計算すれば、

7+4= を見たら、11 が、

2+8= を見たら、10 が、

1+9= を見たら、10 が、

瞬時に心に浮かびます。

 

しかも、

このような計算をしている自分を、

心の中にイメージできます。

 

実際にイメージしていただければ、

お気付きでしょうが、

たし算を計算している自分のイメージに、

顔がないはずです。

 

たし算の答えを

浮かべているイメージだけですから、

そのイメージを強く持って、

たし算を数えて計算する子をリードすれば、

目の前の子がモタモタとしていても、

答えを浮かべているイメージの方が強くて、

いつも穏やかなリードをできます。

 

(基本  {\normalsize {α}} -237)、(+-  {\normalsize {α}} -151)