2021年03月27日(土)~2021年04月02日(金)のダイジェスト。

21年03月27日(土)

 

いきなり自転車に乗って、

自転車の乗り方を練習することに類似させて、

5+3= の計算の仕方を

教えることができます。

 

 

21年03月28日(日)

 

算数や数学の計算を習うとき、

「できる」・「分かる」を見る習慣と、

「できない」・「分からない」を見る習慣の子に

分かれます。

 

「できる」・「分かる」を見る習慣を

育てるようにします。

 

 

21年03月29日(月)

 

6+3= の数える計算の実況中継を

見せて教えるとき、

こちらは、

楽に計算できるようになった子を演じています。

 

6 の次の 7 から、

7、8、9 と、

ユッタリと落ち着いた感じで 3 回数えます。

 

5~6 秒で、

答え 9 が出ます。

 

 

21年03月30日(火)

 

7+8= の答え 15 を浮かべる

たし算の感覚を「つかんだ」よりも、

「入った」の方がピッタリの表現です。

 

スッカリと出させて、

空っぽになった子どもの心に、

たし算の感覚が「入った」なのです。

 

7+8= の数える計算、

8、9、10、11、12、13、14、15 と数えることを、

ウンザリしていても続けさせれば、

数える計算を出し続けることで、

空っぽになります。

 

その空っぽの心に、

答え 15 を浮かべる感覚が。

スッと「入った」なのです。

 

 

21年03月31日(水)

 

3+1= の答え 4 を出すことと、

3+1=4 と書くことに

注視させることができれば、

計算の仕方は、

自動的に、

子どもに入ります。

 

3+1= の

3 を見ることや、

「さん」と読むことや、

1 を見ることや、

「し」と数えることが、計算の仕方です。

自然に、入ります。

 

 

21年04月01日(木)

 

計算自体は簡単なのに、

その計算を思い付かないために、

計算できないことがあります。

 

例えば、

整数 2 を、

分母 3 の仮分数  {\Large\frac{\:\:\:}{3}} に変える計算です。

 

だから、

思い付くこと自体を、

代行して手伝います。

 

例えば、

2= {\Large\frac{\:\:\:}{3}}

2 と、3 を示しながら、

「にさんが(2×3=)?」とだけ教えます。

 

 

21年04月02日(金)

 

計算できないとき、

「聞いて、計算する」を選べないために、

多くの子が、

ボ~ッとしてしまいます。

 

例えば、

{ \normalsize { \begin{array}{rr}\:\:\:2000 \\ - \:\:\:912 \\ \hline \end{array} }} \\ のようなひき算です。

 

ボ~ッとしている子に、

いきなり計算だけをリードして、

短時間で計算を終わらせれば、

「聞けばよかった」と思うようになります。

 

例えば、

計算だけをリードすれば、

30~40 秒で、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} \:\:\:2000 \\ -\:\:\:912\\ \hline 1088\end{array} }} \\ と計算できます。

 

計算できないとき、「聞いて、計算する」を選べないために、多くの子が、ボ~ッとしてしまいます。いきなり計算だけをリードして、短時間で計算を終わらせれば、「聞けばよかった」と思うようになります。

計算の仕方を思い付かなくて、

計算できないとき、

「聞いて、計算する」を、

選べない子が多いのです。

 

選んでいると意識はしていない選択で、

多くの子が、

ボ~ッとしてしまいます。

 

例えば、

{ \normalsize { \begin{array}{rr}\:\:\:2000 \\ - \:\:\:912 \\ \hline \end{array} }} \\ のようなひき算です。

 

筆算のひき算に慣れていますから、

上から下を引くことは、分かっています。

 

だから、

上から下を引こうとして、

上から下を見ます。

 

すると、

上には、0 が並んでいて、

0 からは引けませんから、

上から下を引けないのばかりに見えます。

 

これで、

思考停止状態になり、

「聞いて、計算する」と思うこともなく、

ただ、ボ~ッとしてしまいます。

 

こうなっている子の

思考停止状態を簡単に解除できるのが、

いきなり計算だけをリードしてしまう教え方です。

 

以下、

いきなり計算をリードする例です。

 

まず、

{ \normalsize { \begin{array}{rr}\:\:\:2000 \\ - \:\:\:912 \\ \hline \end{array} }} \\ の一の位の 0 と、

その真下の 2 を示しながら、

「0引く2、できない」、

「10引く2、8(10-2=8)」、

2 の真下を示して、

「ここ、8」です。

 

チョットした補足です。

 

「隣から、1を借りて・・」と言いたくなります。

 

が、計算ではありませんから、

言わないようにします。

 

「1 を借りること」は、

計算できない 0-2= を、

10-2= として、

計算できるようにする説明です。

 

リードに戻ります。

 

いきなりであっても、

問題 { \normalsize { \begin{array}{rr}\:\:\:2000 \\ - \:\:\:912 \\ \hline \end{array} }} \\ の計算をリードされますから、

子どもはすぐに反応して、

こちらのリードを見て、聞きます。

 

そして、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} \:\:\:2000 \\ -\:\:\:912\\ \hline \:\:\:\:\:8\end{array} }} \\ と書きます。

 

これだけで、

この子の思考停止状態は解除されて、

計算モードに切り替わります。

 

でも、リードを続けます。

 

 {\normalsize { \begin{array}{rr} \:\:\:2000 \\ -\:\:\:912\\ \hline \:\:\:\:\:8\end{array} }} \\ の 十の位の 0 を示して、

「1減って、9」、

下の 1 を示して、

「9引く1、8(9-1=8)」、

1 の真下を示して、

「ここ、8」です。

 

計算モードで、

見て、聞いていた子は、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} \:\:\:2000 \\ -\:\:\:912\\ \hline \:\:\:\:88\end{array} }} \\ と書きます。

 

続いて、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} \:\:\:2000 \\ -\:\:\:912\\ \hline \:\:\:\:88\end{array} }} \\ の百の位の 0 を示して、

「1減って、9」、

下の 9 を示して、

「9引く9、0(9-9=0)」、

9 の真下を示して、

「ここ、0」です。

 

計算モードで、

見て、聞いていた子は、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} \:\:\:2000 \\ -\:\:\:912\\ \hline\:\:088\end{array} }} \\ と書きます。

 

途中でリードをやめて、

続きを計算させようとすると、

思考停止状態に戻る危険があります。

 

最後まで、

計算をリードします。

 

 {\normalsize { \begin{array}{rr} \:\:\:2000 \\ -\:\:\:912\\ \hline\:\:088\end{array} }} \\ の 2 を示して、

「1減って、1」、

2 の真下を示して、

「ここ、1」です。

 

計算モードのままで、

見て、聞いていた子は、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} \:\:\:2000 \\ -\:\:\:912\\ \hline 1088\end{array} }} \\ と書きます。

 

このようなリードで、

思考停止状態の子を、

計算モードに戻したままで、

{ \normalsize { \begin{array}{rr}\:\:\:2000 \\ - \:\:\:912 \\ \hline \end{array} }} \\ を、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} \:\:\:2000 \\ -\:\:\:912\\ \hline 1088\end{array} }} \\ と計算してしまいます。

 

こちらが、

普通の速さで話して、

子どもが書く時間を入れても、

30~40 秒です。

 

いきなり計算をリードすることで、

このような短時間で計算が終わりますから、

「もっと早く聞けばよかった・・」と、

子どもは思います。

 

これで、

子どもの心に、

分からなければ、

「聞いて、計算する」ことが、

選択肢として入ります。

 

(基本  {\normalsize {α}} -412)、(+-  {\normalsize {α}} -257)

 

計算自体は簡単なのに、その計算を思い付かないために、計算できないことがあります。だから、思い付くこと自体を、代行して手伝います。

2= {\Large\frac{\:\:\:}{3}} の計算が、

子どもには、とても難しいようです。

 

整数 2 を、

分母 3 の仮分数  {\Large\frac{\:\:\:}{3}} に変える計算です。

 

計算自体は、

2×3=6 ですから、

とても簡単です。

 

そして、

2= {\Large\frac{6}{3}} と書くだけです。

 

計算自体も、

答えの書き方も、

このように、難しくはないのです。

 

でも、

2×3= の計算を、

思い付かないです。

 

思い付けば、

簡単に計算できて、

答えを書くことができますが、

思い付かないのです。

 

自力で思い付く子は、

「あぁ、そういうことか!」と、

思い付いたことを喜びます。

 

思い付かない子は、

何に難しさを感じているのかも知らないで、

ただ、

「難しい」なのです。

 

ですから、

「思い付くこと」自体を、

こちらが代行してしまい、

「思い付くこと」を手伝います。

 

例えば、

次のような手伝い方になります。

 

2= {\Large\frac{\:\:\:}{3}}

2 と、3 を示しながら、

「にさんが(2×3=)?」とだけ教えます。

 

計算を教えているのではありません。

ヒントを出しているのでもありません。

 

子どもが、

自力で思い付くことを、

代行しています。

 

「にさんが(2×3=)?」と、

思い付くことを代行された子は、

「えっ?」、

「あっ、そういうことか!」と、

心の中で感じて、

そして、

ニンマリとします。

 

それから、

九九(2×3=)の答え 6 が、

「にさんが」の音を使わないで、

瞬時に浮かぶこの子は、

「にさんが(2×3=)?」と教えられただけで、

答え 6 が出ていますから、

2= {\Large\frac{6}{3}} と書きます。

 

(基本  {\normalsize {α}} -411)、(分数  {\normalsize {α}} -157)

 

3+1= の答え 4 を出すことと、3+1=4 と書くことに注視させることができれば、計算の仕方は、自動的に、子どもに入ります。

3+1= の計算の仕方を教えます。

 

答えを出して、

そして、書くことに、

子どもが自然に焦点を絞ることができる

こちらの計算の実況中継を見せる教え方です。

 

以下は、

実況中継の一例です。

 

3+1= の 3 を示して、

「さん」と声に出して読み、

1 を示して、

「し」と声に出して数え、

= の右を示して、

「し(4)」です。

 

さて実は、

「計算の仕方を教えます」と、

冒頭に書いていますが、

計算の仕方は、

答えを出す手段です。

 

計算する目的は、

3+1= の答え 4 を出して、

そして、

3+1=4 と書くことです。

 

ですから、

こちらの計算の実況中継を、

子どもに見せるとき、

こちらは、

子どもが、

「出すこと」に集中できるようにします。

 

仮に、

こちらが、

「計算の仕方を教えている」と意識すると、

こちらの実況中継を見ている子どもは、

計算の仕方を探ろうとします。

 

3+1= の

3 を見ることや、

「さん」と読むことや、

1 を見ることや、

「し」と数えることに、

気持ちを置いて、

「そうか、こうやるのか!」となろうとします。

 

「出すこと」よりも、

「計算の仕方」を理解すること、

つまり、

「入れること」に集中します。

 

そうではなくて、

こちらが、

「答えを出して、そして、書くこと」を意識すると、

実況中継を見ている子は、

答えを出すことと、

それを書くことに集中します。

 

人対人には、

共感の力が自然に働いていますから、

こちらの気持ちの置きどころを、

子どもは正確に感じ取ります。

 

そして、

とても面白いことですが、

「出すこと」、

つまり、

答えを出して、そして、書くことに

子どもが焦点を絞り始めると、

「計算の仕方」は、

自動的に、この子に入ってしまいます。

 

答えを出して、そして、書くことに注視すると、

計算の仕方は、

子どもに、自然に入ってしまいます。

 

(基本  {\normalsize {α}} -410)、(+-  {\normalsize {α}} -256)

 

7+8= の答え 15 を浮かべるたし算の感覚を「つかんだ」よりも、「入った」の方がピッタリの表現です。スッカリ出させて、空っぽになった子どもの心に、たし算の感覚が「入った」なのです。

6+8=、4+6=、9+5=、8+7=、5+4= 。

・・・・・

 

6+8= の 6 の次の 7 から、

7、8、9、10、11、12、13、14 と、8 回数えて、

答え 14 を出します。

 

4+6= の 4 の次の 5 から、

5、6、7、8、9、10 と、6 回数えて、

答え 10 を出します。

 

9+5= の 9 の次の 10 から、

10、11、12、13、14 と、5 回数えて、

答え 14 を出します。

 

・・・・・

 

このような数える計算の仕方に慣れています。

一連の動作を習慣のように、

次々と行って、答えを出します。

 

こうなった子は、

「もうたし算は、計算できる」、

「次は、どのような計算なのかな・・」です。

 

それなのに、

「えっ、まだたし算なの」、

「もうできるのに・・」と、

たし算の練習が続きます。

 

子どもは、

半ばウンザリしています。

 

でも、

たし算の練習が続きます。

 

こちらは、

目的があってこうしています。

 

8+7= を見たら、

答え 15 が、

瞬時に浮かぶ感覚を持ってほしいからです。

 

子どもに説明して、

理解してもらえるのならば、

説明したいのです。

 

そうしたいのですが、

数える計算の子に、

「答えを浮かべる感覚があって・・」と、

説明しても、

理解されそうもありません。

 

数えれば答えを出せる子は、

聞く耳を持たない状態です。

 

だから、

たし算の練習を続ける理由を説明しないまま、

練習を続けさせます。

 

そうすると、

5+4= を見たら、

答え 9 が、

6、7、8、9 と数える前に、

心に浮かぶようになります。

 

子どもには、

とても不思議なことです。

 

たし算の答えは、

数えて出すと思っていますから、

数える前に、

問題を見ただけで、

答えが浮かぶ(出ている)のですから、

「どういうことなの・・」なのです。

 

しかも、

日に日に、

問題を見るだけで答えが浮かぶ問題が、

増えていきます。

 

そしてやがて、

たし算の問題を見たら、

どの問題でも、

答えが浮かぶようになります。

 

と、

このようなことが、

ウンザリしてでも、

数える計算を続けていると起こります。

 

さて、

こうなったこの子は、

答えを浮かべることのできるたし算の感覚を、

「つかんだ」のでしょうか?

 

確かに、

「つかんだ」ように見えるのですが、

実は、

「入った」と捉える方が、

ピッタリの表現です。

 

ウンザリしていても、

数える計算で答えを出し続けて、

この子の心が、

すっからかんになったから、

その何もなくなった心に、

答えを浮かべる感覚が「入った」感じなのです。

 

「つかんだ」よりも、

「入った」がピッタリの表現です。

 

しかも、

このようなたし算だけではなくて、

他の計算においても、

徹底して出させるから、

「入った」となるのが、

算数や数学の計算の育ち方のようです。

 

(基本  {\normalsize {α}} -409)、(+-  {\normalsize {α}} -255)

 

6+3= の数える計算の実況中継を見せて教えるとき、こちらは、楽に計算できるようになった子を演じています。

6+3= を数えて答えを出す計算は、

6 の次の 7 から、

+3 の 3 回、

7、8、9 と数えて、

答え 9 を出します。

 

そして、

6+3=9 と書きます。

 

この一連の動作を、

習慣のように、

次々にできるようになれば、

6+3= を楽に計算できます。

 

さて、

6+3= の計算の仕方を初めて習う子に、

楽に計算できるようになった子が、

習慣のようにしている一連の動作だけを、

こちらの計算の実況中継で見せることで教えます。

 

そのような実況中継の一例が、

6+3= の 6 を示して、

「ろく」と声に出して読み、

3 を示して、

「しち、はち、く」と、3 回、声に出して数え、

= の右を示して、

「く(9)」です。

 

実況中継の時間は、

楽に計算できるようになった子のように、

計算して見せるだけですから、

せいぜい 5~6 秒です。

 

このような実況中継では、

初めて習う子には、

とても不親切ですから、

「えっ、どうやって計算するの・・」となります。

 

が、

すぐに次の計算 4+3= に移って、

5~6 秒の短時間で、

4 を見て、

その次の 5 から、3 回、

5、6、7 と数える実況中継です。

 

さらに、

5~6 秒の短時間で、

9+3= を、

10、11、12 と数える実況中継、

そして、さらに、

5~6 秒の短時間で、

5+3= を、

6、7、8 と数える実況中継と続きます。

 

10 問も見るまでもなく、

「あぁ、そうか!」と、

子どもは計算の仕方をつかみます。

 

ワンパターンで、

1 問が 5~6 秒の短時間の実況中継です。

 

しかも、

楽に計算できるようになった子の計算の仕方です。

 

仮に、

10 問見たとしても、

1 分か、

2 分の短時間で、

計算の仕方をつかんでしまいます。

 

言葉では伝えにくいのですが、

実況中継を見せているこちらは、

実は、

楽に計算できるようになった子を演じています。

 

楽に計算できるようになった子ですから、

6+3= の 6 の次の 7 から、

7、8、9 と、3 回、

5~6 秒で数える計算は、

ユッタリと落ち着いた感じです。

 

こちらの実況中継を見ている子は、

こちらが演じている楽に計算できるようになった子も、

合わせて見ていますから、

実況中継を見ている子の心の中に、

とても自然に、

楽に計算できるようになった子が見えています。

 

10 問よりも少ない

7~8 問や、

5~6 問で、

「あぁ、そうか!」と計算をつかんだとき、

見ている子の心の中の

楽に計算できるようになった子が、

実は、

自分自身だった・・と重なります。

 

(基本  {\normalsize {α}} -408)、(+-  {\normalsize {α}} -254)

 

算数や数学の計算を習うとき、「できる」・「分かる」を見る習慣と、「できない」・「分からない」を見る習慣の子に分かれます。「できる」・「分かる」を見る習慣を育てたいのです。

自分の内面の

「できる」や、

「分かる」を見ている子がいます。

 

一方で、

「できない」や、

「分からない」を見ている子がいます。

 

内面の習慣です。

見る対象を、

見る前に選ぶ習慣です。

 

「これは、できる」や、

「ここは、分かる」のような部分を選んで、

見ている子が、

前者です。

 

「まだ、できない」や、

「サッパリ分からない」のような部分を選んで、

見ている子が、

後者です。

 

さて、

こちらが、

たし算の初歩の

3+1= の計算の仕方の実況中継を見せます。

 

3+1= の 3 を示して、

「さん」と声に出して読み、

1 を示して、

「し」と声に出して数え、

= の右を示して、

「し(4)」とリードする実況中継です。

 

「できる」・「分かる」を見る子は、

「できる」・「分かる」となる部分だけを

選んで見ています。

 

3 を示されたことから、

3+1= の 3 を見ることが、

「できる」・「分かる」であれば、

「ここを見るのだ!」と、

子どもは理解します。

 

3 を見るだけではなくて、

「さん」と読むことも、

「できる」・「分かる」であれば、

「ここを見て、読むのだ!」と、

理解します。

 

これ以外の計算の部分が

「できる」・「分かる」でなければ、

この子は見ていません。

 

そして、

次の計算 6+1= の

こちらの実況中継を見るとき、

6 を見ることと、

「ろく」と読むことは、

「できる」・「分かる」部分ですから、

見ているだけではなくて、

この子も、内面で計算しています。

 

すると、

一部分ですが、

計算してしまった勢いで、

こちらの実況中継を見ますから、

計算の続きの

1 を見ることと、

「しち」と数えることも、

「できる」・「分かる」部分として、

この子に見えたりします。

 

一方で、

「できない」・「分からない」を見る子は、

3+1= の

① 3 を見て、

② 「さん」と読み、

③ 1 を見て、

④ 「し」と数えて、

⑤ 3+1=4 と書くことの

すべてが「できる」・「分かる」になるまでは、

「できない」・「分からない」の部分だけを

選んで見てしまい、

「サッパリ分からない」となってしまいます。

 

5~6 問の実況中継を見た後、

計算手順のすべてが、

「できる」・「分かる」部分になるまで、

「できない」・「分からない」部分を見てしまいます。

 

「できる」・「分かる」を見る子も、

「できない」・「分からない」を見る子も、

内面の習慣ですから、

実は、

先に何を見るのか決めています。

 

「できる」・「分かる」を見る子は、

3+1= の

こちらの計算の実況中継を見る前に、

「できる」・「分かる」部分を見ると、

先に決めています。

 

「できない」・「分からない」を見る子も、

3+1= の

こちらの計算の実況中継を、

先に決めている

「できない」・「分からない」視点から見ています。

 

これは、

何を見るのかを先に決めている

内面の習慣です。

 

3+1= のような

初歩のたし算だけに限りません。

 

なお、

子どもに持ってほしい習慣は、

「できる」・「分かる」を見る習慣です。

 

(基本  {\normalsize {α}} -407)、(+-  {\normalsize {α}} -253)