選択をする能力を持っているということは、私たちは単に過去や遺伝子の産物ではないということである。他人の影響の産物でもない(スティーブン・R・コヴィー)。

15-8 のようなひき算で、

すぐに「分からない」と甘えます。

 

8+7 のたし算を見ただけで、

答え15を浮かべる力を持っています。

 

たし算の指が取れている子です。

 

15-8 を、

8に何かを足して、

15にするように

計算できる子です。

 

それなのに、

疲れていたりすると、

15-8 に難しさを感じて、

「分からない」と甘えます。

 

少し疲れていて、

難しさを感じても、

「分かるさ」や、

「できるもん」と言ってもいいのですが、

「分からない」と言います。

 

この子に、

選ぶ力を持っていることを

体験させます。

 

かなり強い口調で、

「分かる!」と言ってしまいます。

 

「分からない」と甘えたこの子を、

とがめてはいません。

 

15-8 を

自力で計算するように

突き放すのでもありません。

 

「分からない」ではなくて、

「分かるさ」を選ぶことができると

気付かせて、

「分かるさ」を選ばせたいのです。

 

この子は、すでに

「分からない」を選んでいます。

 

こうしてしまった子に、

「分かるさ」を選び直させます。

 

穏やかに

「分かる」と言っても、

「分かるさ」を

選び直すことができません。

 

子どもが驚くくらい強い口調で、

しかしとがめる気持ちゼロで、

「分かる」と言います。

 

難しさを感じた

15-8 に、

「分かるさ」を選んで、

先に「分かるさ」と言ってしまったら、

8に何かを足して、

15にしてしまいます。

 

15-8 を計算する

手伝いではありません。

 

選ぶ力の使い方を

体験させる手伝いです。

 

「分からない」と甘えられたら、

強い口調で、

「分かる」と言って、

「分かるさ」を

新たに選ばせてしまいます。