人間である私たちの偉大さは、世界を変えられることよりも、自分自身を変えられることにある(ガンジー)。

小5の算数に

落ちこぼれています。

 

算数の授業を

理解できなくなっています。

 

自分で分かっています。

先生も分かっています。

親も知っています。

友だちも知っています。

 

これがこの子の

学校での世界になっています。

 

小5の算数に落ちこぼれていても、

何もできないのではありません。

 

6+5 のたし算の答え11は、

問題 6+5 を見ただけで

浮かぶ力を持っています。

 

7+8 のようなたし算の

指が取れています。

 

このすごい力を

すでに持っています。

 

確かに、

小5の算数は、

少しも分からないようです。

 

でも、

7+4 の指が取れていて

7+4 を見ただけで

答え11が浮かびます。

 

この小5に、

6+8、4+6、9+5、7+5、8+8、

4+8、6+5、7+9、8+5、4+4、

5+7、8+7、9+6、4+7、5+6、

8+4、7+7、5+4、8+6、7+8、

5+5、7+6、9+8、7+4、6+7

このようなたし算を

100問計算させます。

 

100問です。

 

小5の分数計算ではありません。

 

この子が、

落ちこぼれているのは、

小5の算数です。

 

6+8、4+6、~~~

このようなたし算で

落ちこぼれてはいません。

 

6+8を見たら、答え14が、

4+6を見たら、答え10が、

パッとすぐに浮かんでいます。

 

指で数えて

計算したりしていません。

 

見たら

答えが浮かびます。

 

6+8、4+6、~~~のたし算を、

落ちこぼれではなくて、

次々に答を出して

テキパキと書いていく

優秀児として

計算できるはずです。

 

ですが、

そうできません。

 

落ちこぼれとして

嫌々そうにダラダラと

答えを書いていきます。

 

この子の世界では、

見たら答えが浮かぶたし算であっても、

算数の落ちこぼれなのです。

 

算数の落ちこぼれのまま

嫌々そうに計算しているこの子の

耳元で、

答えを次々にささやいてしまいます。

 

4+8 の+を示して、「12」と、

6+5 の+を示して、「11」と、

7+9 の+を示して、「16」と、

次々にささやいてしまいます。

 

4+8 の+を示して、

「12」とささやいたら、

子どもが、

4+8=12 と

書き終わるのを待たずに、

6+5 の+を示して、

「11」とささやきます。

 

そして、子どもが、

6+5=11 と

書き終わるのを待たずに、

7+9 の+を示して、

「16」とささやきます。

 

子どもを育てようとして、

こうすると、

子どもを焦らせてしまいます。

 

子どもに集中しないで、

こちらは、

こちら自身に集中して、

次々に

+をパッと示して、

サッと答えを出します。

 

このようにリードして、

4+8、6+5、7+9、~~~を

見たら答え、

12、11、16が

すぐに浮かぶ力のままに

優秀児として計算させてしまいます。

 

この子の世界で、

算数の落ちこぼれと見られていても、

4+8、6+5、7+9、~~~を

優秀児として、

この子は

計算することができます。

 

小5の算数では

落ちこぼれであっても、

4+8、6+5、7+9、~~~は、

優秀児です。

 

答えを子どもの耳元で、

子どもを待たずに

次々にささやくことで、

4+8、6+5、7+9、~~~まで

落ちこぼれになってしまう

自分自身を変えてしまう体験を

させてしまいます。