4+7、8+7、2+7、5+7、……のたし算を、
指で数えて計算する子です。
集中が切れて、
計算から離れて
ボ~ッとしています。
自力で集中を戻して、
計算し始めればいいのです。
ですが、
そうできなくて、
ボ~ッとしたままです。
教えます。
教える前に、
普通、考えもしないことを
考えてみます。
誰に何を教えますか?
すると、
目の前の集中が切れて
ボ~ッとしている子に、
集中の戻し方を教えますと
考えるのが普通です。
本当にそうでしょうか?
集中を戻すことではなくて、
4+7、8+7、2+7、5+7、……のたし算を、
計算し始めることを
教えたいのではありませんか?
そうであるのでしたら、
計算し始めた子に、
計算そのものを教えますと、
普通ではありませんが、
考えます。
でも、
目の前の子は、
集中が切れて
ボ~ッとしています。
計算し始めるどころでは
ありません。
見えている目の前の子が邪魔して、
計算し始めた子に、
計算そのものを教えたくても、
できるのだろうかと
疑うはずです。
今まで、
こうしていなかったとしても、
こうできないからではありません。
試してもいなかっただけです。
4+7、8+7、2+7、5+7、……のたし算で、
集中が切れてボ~ッとしている子に、
ボ~ッとしていることを無視して、
ボ~ッとしたままの子にいきなり、
こちらが計算してしまいます。
4+7 の4を示して、
「し」と読んでから、
指で、
「ご、ろく、しち、はち、く、じゅう、じゅういち」と数えて、
答え11を出します。
こうすると、
ボ~ッとしていたはずの子どもが、
4+7=11 と書いてくれます。
目の前のボ~ッとしている子を無視して、
計算し始めた子に、
計算そのものをリードしましたから、
子どもが答えを書いてくれます。
実は
教えられる子どもの中に、
ボ~ッとしたままの子も、
計算し始めた子も、
共にいます。
そして、
ボ~ッとしたままの自分のことも、
計算し始めた自分のことも、
共に子どもは感じています。
子どもが強く感じている方に、
今はなっています。
だから子どもは、
こちらが誰に何を教えているのかを
ハッキリと見分けています。
こちらが、
ボ~ッとしたままの子に、
集中の戻し方を教えているのか、
あるいは、
計算し始めた子に、
計算そのものを教えているのかを
見分けています。
参照:
蔵一二三、「計算の教えない教え方 基本」(2017)。
アマゾン。
計算の教えない教え方 基本―たかが計算 されど算数の根っこ そして人育て