2+8 と、8+2 は同じ答えです。指で数える子の手間は大きく違います。

2+8 は、

8+2 と計算できることを

教えてもいいのでしょうか?

 

指で数えて答えを出すことに

慣れてきた子どもの母親が

疑問を持ちました。

 

2+8 は、

2に8を足します。

 

8+2 は、

8に2を足します。

 

違うたし算です。

でも、答えは、10で同じです。

 

だから、

2+8 を、

8+2 で計算しても同じ答え10になります。

 

2+8 を、

2を「に」と読んでから、

「さん、し、ご、ろく、しち、はち、く、じゅう」と、

指で8回数えて、

答え10を出しています。

 

8+2 と計算すれば、

8を「はち」と読んでから、

「く、じゅう」と、

2回指で数えれば、

答え10が出ます。

 

8回数えるよりも、

2回数える方が少なくて、

楽に思えます。

 

このように、

この母親は思っています。

 

「教えるのは反対」、

「気付かせるのは賛成」なのです。

 

2+8 をこのまま計算するのでしたら、

「に」の後、

「さん、し、ご、ろく、しち、はち、く、じゅう」です。

 

指で8回数えているのを

見ていられないようです。

 

指で数えるにしても、

8に2を足すようにすれば、

数える回数が2回です。

とても少なくなります。

 

「はち」の後、

「く、じゅう」です。

 

確かに、

たし算の足す順番を入れ替えても、

同じ答え10です。

 

しかも、

2+8 よりも、

8+2 の方が指で数える回数が少ないのです。

 

だから、

2+8 を計算する子どもに、

「はち(8)に、に(2)を足してもいいよ!」と、

言葉で教えたくなります。

 

「大きい方に小さい方を足しな!」や、

「順番を逆にしてもいいよ」や、

「右から左に足したら」などの

教え方もするようです。

 

教えられた子どもは、

教えられたやり方を、

「どういうこと?」と理解しようとします。

 

言葉で教えられたことを

理解しようとし始めたとき、

受け身になってしまいます。

 

主体的にはなれなくなります。

 

子どもが受け身になると、

「2+8 を見ただけで、

答え10が頭に浮かぶ感覚」を、

「自分でつかまえるのだ」のような

前向きで主体的な気持ちが弱くなります。

 

問題を見ただけで、

答えが頭に浮かぶ感覚そのものも、

教えてもらえるのではと期待します。

 

ですから、

「教えるのは反対」です。

 

2+8 のとき、

8を示して「はち」と声に出して読みます。

 

すぐに続けて、

子どもの指を1本ずつ触れながら、

「く、じゅう」と数えます。

8+2 を計算しています。

 

大きい方から小さい方や、

右から左や、

足す順番を逆にするなど、

言葉での説明をしていません。

 

ただ計算しただけです。

 

数える回数を減らしています。

足す順番を変えています。

 

言葉で少しも説明しません。

 

これが、

「気付かせるのは賛成」の

気付かせる方法です。

 

「あなたはつかめるから」、

「信じているから」、

「自分でつかんで」と、

無言のメッセージです。

 

「こっちから足してもいいのか!」、

「楽しそうだな!」と、

子どもは思うようです。

 

受け身にはなりません。

 

見せられたやり方から、

やり方を自分でつかもうとします。

 

自分でたし算の感覚をつかみ取ろうとする

前向きな姿勢のままです。

 

「教えるのは反対」、

「気付かせるのは賛成」なのです。

 

ですが、

何も教えない方がいいようです。

 

子どものひたむきな「努力を見守る」が

お勧めです。

 

2+8 でしたら、

「に」と黙読した後、

「さん、し、ご、ろく、しち、はち、く、じゅう」と、

指で数えればいいのです。

 

前向きな強い姿勢が必要です。

 

ありがたいことに、どの子も

前向きな強い態度を持っています。

 

参照:

蔵一二三、「計算の教えない教え方 たし算ひき算」(2018)。

アマゾン。

計算の教えない教え方 たし算ひき算―たかが計算 されど算数の根っこ そして人育て