「やることがモタモタしていて遅い(宿題など)」と気になります。助けてあげたいのですが・・・。

子どもが嫌いな算数の宿題は、

特にモタモタしています。

 

子どもの問題を解決したいと、

親は自然に、

しかも強く思います。

 

ほとんど無意識です。

子どもの問題を解決してあげたいのです。

 

やることが遅いことは、

見過ごせない問題です。

 

「やることがモタモタしている」は、

冷静に考えれば、子どもの問題ですが、

親は、自分が解決しなければならない問題と、

なぜか思ってしまいます。

 

子どもの問題を、

少しだけ離れてみてみます。

 

子どもが立って歩けるとしたら、

生まれてから乳児のころ、

「歩けるようになる」問題を

自分で解決しています。

 

だから、

立って歩けます。

 

つまり、

立って歩くような難しい問題を、

自分で解決してしまう力を持っています。

 

日本語を聞いて話すこともそうです。

 

「日本語を聞いて話せるようになる」問題も、

「歩けるようになる」問題のように、

子どもが自分で解決しています。

 

だから、

日本語を聞いて話すことができます。

 

このように子どもは、

自分の問題を

自分で解決できる力を持っています。

 

「やることがモタモタしている」は、

「算数の宿題を終わらせる」問題です。

 

自分の問題を解決する力を持っていますから、

子どもは自分で解決できます。

 

でも、

立って歩くことや、

日本語を聞いて話すことと、

算数の宿題を終わらせることは、

違う問題のようにみえます。

 

不思議なことですが、

「算数の宿題を終わらせる」問題は、

自分で解決しようとしないで、

教えてもらおうとします。

 

「算数の宿題を終わらせる」問題も、

子どもが自分で解決できることを、

宿題の計算をリードすることで気付かせます。

 

「やることがモタモタしている」、

「算数の宿題を終わらせる」問題を、

「このようにテキパキとしてしまう」と、

親がやってみせます。

 

子どもの算数の宿題を、

親が出して、開いて、

鉛筆も親が出して、

1問目の計算  {\normalsize { \begin{array}{rr} \:\:\:\:832 \\ - \: 356 \\ \hline \end{array} }} \\ をリードします。

 

「このようにテキパキとしてしまう」の

動きのスピードを見せています。

 

「なんだ」、

「自分でもできる!」と、

子どもに思わせる目的のリードです。

 

  {\normalsize { \begin{array}{rr} \:\:\:\:832 \\ - \: 356 \\ \hline \end{array} }} \\ の6の下を示して、

「12-6=6」、

「ここ、6」とリードします。

 

親が、計算しているのではありません。 

 

速いスピードで、

1問目を計算してしまうことで、

速いスピードも、やることも、

「自分でもできる」と、

子どもに思わせるためのリードです。 

 

続いて、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} \:\:\:\:832 \\ - \: 356 \\ \hline \end{array} }} \\ の832の3を示して、

「1減って、2」、

5の下を示して、

「12-5=7」、

「ここ、7」と速いスピードの計算を見せます。

 

最後に、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} \:\:\:\:832 \\ - \: 356 \\ \hline \end{array} }} \\ の8を示して、

「1減って、7」、

356の3の下を示して、

「7-3=4」、

「ここ、4」と速いスピードを見せます。

 

親の出した答えを子どもは書きながら、

「この速さでやればいいのか!」と、

自分でもできると思います。

 

このようにして、

「やることがモタモタしている」、

「算数の宿題を終わらせる」問題を、

自分で解決する力を持っていると、

子どもに気付かせます。

 

(基本  {\normalsize {α}} -037)、(+-  {\normalsize {α}} -029)