幼児が、
親の隣に座って、
3+5= や、7+5= のたし算を
指で数えて計算しています。
計算をしながら、
そうしていると意識していない習慣のように、
指で、鼻くそをほじり、なめます。
また、足をボリボリかきます。
さてこのような状況に、
自分が何を見るのかを主体性で選び、
子どもの計算だけを見ると決めている親がいます。
子どもが、
3+5= の
3 を「さん」と音読して、
声に出して、
「し、ご、ろく、しち、はち」と数えて
計算していることだけを見ています。
たし算を数えて計算する目的を、
この親は理解しています。
3+5= を見たら、
見ただけで、
答え 8 が浮かぶ感覚を持つことです。
短期間で、
楽に持てる感覚でないことを、
この親は理解しています。
たし算の感覚を持つために、
3+5= の 3 を見て、
すぐに「さん」と読み、
+5 の 5 を素早く見て、
「し、ご、ろく、しち、はち」と速く数えて、
3+5=8 と書いてしまいます。
3+5= を見てから、
3+5=8 と書き終わるまでの時間が短ければ、
3+5= と、8 が組になって
頭に残りやすいからです。
そして、
3+5= と、8 が組になって、頭に残れば、
3+5= を見たら、
答え 8 が浮かびやすいからです。
このような育ちの流れを知っていて、
何を見るべきなのかを決めている親は、
計算している子どもの
計算だけを見ます。
だから、
もう少し夢中になれそうだと気付いて、
計算のスピードを速くする手伝いをします。
指で、鼻くそをほじり、なめることや、
足をボリボリかくことを、
子どもには夢中になる余地があると、
たし算の力を育てることだけに解釈しています。
7+5= を、
親が、子どもよりも速いスピードで
計算して見せます。
7 を示して、すぐに「しち」と音読して、
5 を示してすぐ、早口で、
「はち、く、じゅう、じゅういち、じゅうに」と数えて、
答え 12 を出します。
指で、鼻くそをほじり、なめていることや、
足をボリボリとかいていることを、
自分がしていると、
子どもは知っています。
それなのに、
親から何も言われません。
親はただ、
自分でもできそうな
速いスピードのたし算を
見せてくれるだけです。
子どもは、親に
理解されている、
認められていると感じます。
安心した子どもは、
親が見せてくれるスピードで
たし算を計算しようとします。
(基本 -105)、(+-
-082)