+= の計算を、
丸投げの聞き方で、
「分からない」です。
計算できるかできないかの問題もありますが、
未熟さ(自立していない依存の甘え)の問題でもあります。
「教えて」ではありません。
「分からない」です。
通分してから足すことを分かっている子です。
何かできそうです。
が、
何もしていません。
この子の
この未熟さを吸収してしまいます。
「何か書けるでしょ!」や、
「どうしたの?」、
「たし算だよ。できるでしょ」とかしません。
甘えて、
「分からない」と聞く子です。
突き放したりしないで、
未熟さを育てるチャンスです。
分数のたし算の計算手順を分かっています。
自分で計算しようとすれば、
何かできます。
この子は、
このような自立ではなくて、
丸投げで聞く、
甘える依存なのです。
頼られていますから、
未熟さを育てることができます。
+= の計算をリードして、
答えを出すことで、
こちらが未熟さを吸収してしまえば、
子どもの未熟さは育ちます。
「最初に、どうする?」で、
答えがなければ、
「分母をそろえる」とリードします。
計算を教えているのではありません。
未熟さを育てています。
「どうやって、分母をそろえる?」で、
答えがなければ、
「大きい方の16を、小さい方の12で割る」、
「割り切れない」、
「16を2倍して、32」、
「32を、12で割る」、
「割り切れない」、
「16を3倍して、48」、
「48を、12で割る」、
「割り切れる」、
「分母を、48にそろえる」とリードします。
「どうやれば、分母が48になる?」で、
答えがなければ、
の分母12を示して、
「4倍すると、48だから」とリードしてから、
分子の5を示して、
「4倍して、20」、
「分母が48、分子が20に変わる」とリードします。
子どもの未熟さを吸収して、
このようにリードすれば、
+= と子どもは書きます。
次に、
の分母を、48に通分するリードを、
同じようにします。
さて、
子どもの未熟さの程度はさまざまです。
甘えの依存があっても、
こちらが計算をリードしていくと、
どこかで子どもは、
「分かった」となります。
未熟さを、少しも指摘しないで、
突き放したりもしないで、
計算をリードすれば、
子どもの未熟さは、必ず、
少し育ちます。
こちらの役割は、
子どもの未熟さを育ててしまうことです。
(基本 -212)、(分数 -071)