たし算の答えを浮かべる感覚を持ったとき、たし算の練習を、しつこく続けた理由を、子どもは理解します。

6+2=、4+5=、7+3=、5+5=、

7+4=、5+7=、8+2=、5+6=、

3+9=、8+4=、9+4=、7+4=、

8+2=、5+8=、5+9=、7+8=、

6+9=、8+7=、8+5=、7+6=。

 

6+2= の 6 を見て、

「ろく」と読み、

2 を見て、

7、8 と数えて、

答え 8 を出して、

6+2=8 です。

 

5+9= でしたら、

5 を見て、

「ご」と読み、

9 を見て、

6、7、8、9、10、11、12、13、14 と数えて、

答え 14 を出して、

5+9=14 です。

 

数える回数が、2 回でしたら、

指を使わずに、数えて、

9 回でしたら、

指を折りながら数えます。

 

たし算を習い始めてから、

数ヵ月で、

指で数える計算を、

楽にスラスラとできるようになります。

 

子どもは、

「たし算の計算をできるようなった」と、

ボンヤリとですが、感じています。

 

それなのに、

たし算の練習を続けます。

 

「もう、計算できるのに、どうして・・」が、

子どもの気持ちですから、

しつこく続くたし算の練習が、

集中が切れやすくて、

ダラダラとした計算になります。

 

このような子に、

たし算の練習を続ける理由を、

「問題を見たら、

答えが浮かぶ感覚を持つため」と説明しても、

理解してもらえません。

 

指で数えて計算している子は、

問題 4+5= を見たら、

指で数えたりしないで、

ただ見ただけなのに、

答え 9 が、

勝手に心に浮かぶと言われても、

理解できません。

 

4+5= の 4 を見て、

「し」と読み、

5 を見て、

5、6、7、8、9 と、

指を折って数えて、

答え 9 を出している子です。

 

指で数えるから、

たし算の答えが出るのです。

 

しかも、

指で数える計算に慣れています。

楽にスラスラと計算できます。

 

それだけに、

4+5= を見るだけで、

すぐに、心に答え 9 が浮かぶような、

魔法のようなやり方があるなんて、

信じられません。

 

さらに、

そのようなやり方があるとしても、

特別な力を持っているからで、

自分が、

そのようなやり方で計算できるようになるとは思えません。

 

指で数えるたし算を、

楽にスラスラとできるようになったのに、

それでも練習し続けて、

1年前後の時間をかけて、

ようやく、

7+8= を見ただけで、

答え 15 が浮かぶ力を持った後、

「この力を持ってほしいから、

たし算の練習を続けた」と言われたら、

「なるほど、そうだったのか」と理解できます。

 

たし算の答えを浮かべる感覚を持つまでは、

いつまでも、

しつこくたし算の練習をする理由を

理解できません。

 

「説明しても分からない」、

「たし算の答えを浮かべる感覚を持たせたい」、

「計算から逃げる子どもを、

にこやかに計算に戻し続ける」と、

こちらは、覚悟を持って、

子どもがたし算の感覚を持つまで、

1年前後の長い期間、

手伝い続けます。

 

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