「いくつかの計算を組み合わせている」と、
計算自体を見るようになるのは、
子どもが難しさを感じる計算のときです。
「難しさ」は気持ちですから、
大きな個人差があります。
のような筆算のたし算の
繰り上がりのたし算に
「難しさ」を感じる子もいますが、
多くの子ではありません。
少ない子ではありませんが、
多くの子でもありません。
筆算のたし算の
繰り上がりのたし算は、
「少し難しい」くらいのようです。
だから、
の計算を、
8+6=14 と、
4+4=8 と、
8+1=9 の
3 つのたし算の組み合わせだと、
感じる子は、ほとんどいないようです。
全体を、
1 つの計算だと見ています。
もちろん、
計算をリードしているこちらは、
3 つのたし算の組み合わせを
意識していますが、
子どもはそうではなくて、
1 つの計算です。
これに比べると、
や、
のような筆算のかけ算の
繰り上がりのたし算は、
多くの子が、
「難しさ」を感じる計算です。
そして、
このような「強い難しさ」を感じさせる計算は、
「いくつかの計算を組み合わせている」と、
子どもに、
何となくなのでしょうが、
感じさせる計算になっています。
確かに、
筆算のかけ算は、
「いくつかの計算を組み合わせている」計算です。
は、
4×9=36 と、
4×2=8 と、
8+3=11 の計算の組み合わせです。
は、
8×4=32 と、
8×3=24 と、
24+3=27 の計算の組み合わせです。
このような 3 つの計算の組み合わせを、
子どもが感じるのは、
かけ算 2 回、つまり、
4×9=36 と、4×2=8 の後の
たし算 8+3=11 に
自分の計算を切り替えるのが難しいからです。
切り替えるのが難しいために、
別の種類の計算であることを、
子どもは、
何となくなのでしょうが意識しています。
そして、
「いくつかの計算を組み合わせている」と、
何となくなのでしょうが、
意識しているようです。
つまり子どもは、
ハッキリと、
2 回のかけ算と、
1 回のたし算(繰り上がりのたし算)の
組み合わせが、
や、
のような筆算のかけ算の計算だと、
意識してはいないようです。
だから、
筆算のかけ算の
繰り上がりのたし算の計算で、
モタモタとしている子どもに、
たし算だけを練習させて、
たし算だけでしたらスラスラと計算できても、
筆算のかけ算の計算は、
モタモタとしたままなのです。
こちらは、
ハッキリと、
2 回のかけ算と、
1 回のたし算(繰り上がりのたし算)の
組み合わせと見ることができますが、
子どもはそうではなくて、
何とはなくのボンヤリとしたレベルだからです。
さて、
多くの計算を修得して、
小数の混ざった分数のかけ算、
0.2×= や、
0.25×3= のような計算にまで進むと、
「いくつかの計算を組み合わせている」ことを、
かなりハッキリと意識できている子が、
多くなります。
0.2×= は、
小数 0.2 を、分数 に変える計算と、
×= と約分する計算を
組み合わせていると、
見ることができる子が、
多くなります。
こうなると、
0.25×3= の計算で、
その一部分の
小数 0.25 を、
分数 に変える計算ができて、
帯分数 3 を、
仮分数に変えることができないとき、
「この部分の計算だけ」を、
聞く子に育っています。
0.25×3= の計算を、
「いくつかの計算を組み合わせている」と、
ハッキリと見ることができますから、
思い出すことができない計算の一部分を、
つまり、
帯分数 3 を、
仮分数に変えることだけを、
「どうやって、仮分数にするの?」のように、
ズバリと聞くことができます。
(基本 -474)、(+- -280)、
(×÷ -103)、(分数 -195)