や、
のようなかけ算を計算します。
九九を 2 回の後に、
繰り上がりのたし算のある計算です。
この繰り上がりのたし算を、
2 回の九九の後追いで計算すると、
九九からたし算に切り替えることが
意外と難しい計算になります。
繰り上がりのたし算の答えを、
すぐに出せなくて、
筆算のかけ算の計算自体が止まってしまいます。
後追いではなくて、
2 回の九九の後に
繰り上がりのたし算があると
待ち伏せていれば、
計算の切り替えが済んでいますから、
簡単なたし算です。
8+3= の答え 11 を、
たし算の感覚で、
瞬時に出す力を使うことができます。
たし算を計算すると待ち伏せているからです。
2 回の九九の後追いで、
たし算が出てからでしたら、
たし算の感覚にブレーキがかかっていて、
使えないのです。
でも、
繰り上がりのたし算を、
後追いのたし算から、
待ち伏せるたし算に入れ替えるのは、
子ども自身です。
子どもの主体性が育てば、
「後追いだから難しい」、
「たし算を待ち伏せればいい」と、
自ら、
後追いのたし算を、
待ち伏せるたし算へ、
入れ替えてしまうことができます。
実は、
同時なのです。
主体性を育てながら、
後追いのたし算を、
待ち伏せるたし算に入れ替えています。
共に育っていきます。
主体性を育てることが、
筆算のかけ算の繰り上がりのたし算を
待ち伏せに入れ替えることと
統合されています。
組み込まれています。
融合しています。
後追いのたし算を、
待ち伏せるたし算に入れ替えることと、
主体性を共に育てるような教え方に、
向いているのが、
こちらの計算の実況中継を見せることです。
の
4 と、9 を示しながら、
「しくさんじゅうろく(4×9=36)」、
4 の真下を示して、
「ろく(6)」、
「指、さん(3)」とリードして、
こちらの計算の実況中継を見せます。
見ている子は、
当事者になり、
自らも九九を心の中で唱えて、
そして、
と書いて、
指を 3 本伸ばします。
次に、
の
4 と、2 を示しながら、
「しにがはち(4×2=8)」、
子どもが指に取った 3 を触って、
「はち足すさん、じゅういち(8+3=11)」、
2 の真下を示して、
「じゅういち(11)」とリードします。
見ている子は、
自ら、心の中で、
九九を計算して、
繰り上がりのたし算を計算しようとします。
ここで子どもは、
こちらの実況中継の計算と、
自分の心の中の計算に、
大きなギャップを感じます。
筆算のかけ算に慣れていない子は、
繰り上がりのたし算が、
2 回の九九の後追いです。
モタモタとした計算なのですが、
子どもが見ているこちらの実況中継は、
「はち足すさん、じゅういち(8+3=11)」と、
瞬時に答え 11 を出しています。
大きなギャップです。
でも、子どもは、
と書いて、
計算を完成させます。
の
こちらの実況中継中の
繰り上がりのたし算の部分、
「しじゅうく足すご、ごじゅうし(49+5=54)」にも、
子どもは大きなギャップを感じます。
こちらの実況中継の計算と、
自分の心の中の計算とのギャップです。
そして、
この大きなギャップを感じる回数が、
増えるに連れて、
子どもの繰り上がりのたし算が、
後追いから、
待ち伏せに入れ替わってしまいます。
こちらの実況中継のたし算のように、
「あのような速さでたし算の答えを出したい」と、
子どもの中の主体性が刺激を受けて、
主体性の育ちと、
待ち伏せるたし算への入れ替えが、
共に起こります。
後追いのたし算を、
待ち伏せるたし算に入れ替えることができるに
十分な主体性が育てば、
繰り上がりのたし算を待ち伏せるようになります。
(基本 -559)、(×÷ -121)