を、
と計算します。
間違えています。
が、正しい計算です。
また、
を、
と計算します。
これも、
間違えています。
が、正しい計算です。
計算の仕方が、
一部分だけ混乱しています。
の 1 番目の計算、
4×3=12 の繰り上がり数 1 を、
この後の計算で足すことは、
理解できています。
2 番目の計算、
4×0=0 に足せば、
正しい計算になります。
それをこの子は、
3 番目の計算、
4×2=8 に足して、
8+1=9 としています。
繰り上がり数 1 を、
足す場所を、
間違えているだけです。
同じように、
の 1 番目の計算、
5×3=15 の繰り上がり数 1 を、
この後の計算で足すことは、
理解できています。
2 番目の計算、
5×0=0 に足せば、
正しい計算になります。
それをこの子は、
3 番目の計算、
5×2=10 に足して、
10+1=11 としています。
やはり、
足す場所を、
間違えているだけです。
計算の流れの中の一部分、
繰り上がり数 1 を足す場所だけを
間違えているこの子に、
正しい足す場所を教えることは、
実は、
意外と難しいのです。
正しくできている部分を、
そっくりそのまま残して、
間違えているこの 1 カ所だけを、
この子が、
「なるほど、ここに足すのか・・」と、
正しく理解できて、
正しく計算できるようにします。
教えることができそうで、
できないのです。
教えることの難しさは、
こちらのことです。
この子にしたら、
教えることができそうで、
できないことを習うのですから、
実は、
習うことの難しさになります。
こちらが難しいだけでなく、
子どもも難しいのですから、
繰り上がり数 1 を足す場所だけを、
この子が正せるように教えることを、
諦めます。
このような都合のよい教え方を、
できないと認めます。
そして、
今、正しくできている部分を、
正しいと認める教え方をします。
一つの実例を、
以下に書きます。
間違えた答え を、
そのまま残して、
こちらの計算の実況中継を見せます。
4 と 3 を順に示しながら、
「しさんじゅうに(4×3=12)」、
子どもが書いた答え 902 の 2 を示して、
「合っている」、
「指、1」です。
続いて、
の 4 と 0 を順に示しながら、
「し掛けるゼロ、ゼロ(4×0=0)」、
子どもが指に取った 1 を触って、
「ゼロ足すいち、いち(0+1=1)」、
子どもが書いた答え 902 の 0 を示して、
「ここ、いち(1)」です。
「えっ、ここに足すの・・」と、
意外性にやや驚きながら、
この子は、
と書き直します。
そして、
の 4 と 2 を順に示しながら、
「しにがはち(4×2=8)」、
子どもが書き直した答え 912 の 9 を示して、
「ここ、はち(8)」です。
この子は、
と書き直します。
ここまで教えたら、
終わります。
も、
同じようなリードで、
こちらの計算の実況中継から学び、
と書き直します。
そして、こちらは、
こちらの計算の実況中継を見て、
子どもが学んだことを、
自分のものとして、
これからの計算に利用することを待ちます。
(基本 -608)、(×÷
-127)