12+8= の答え 20 の出し方を、こちらの計算の実況中継を見せて教えます。見るのは子どもです。自分向けにパーソナライズ化できたとき、自力で計算できるようになります。

こちらが、

子どもに見せる計算の仕方は、

実は、こちら自身が使いやすい計算です。

 

もちろんのことですが、

こちらは、

目の前の子が、

使いやすいと思われる計算の仕方を、

こちらの計算の実況中継で見せます。

 

そうですが、

「この子は、

このような計算が使いやすい・・」と思うのは、

この子ではなくて、

こちらなのです。

 

どうしても、

こちら自身が使いやすい計算の中から、

この子向きと、

こちらが思う計算を選ぶことになります。

 

つまり、

こちらに、

パーソナライズ化されている計算の仕方です。

 

こちらが、このようなことに、

気付いていても、

気付いていなくても、

こちらにパーソナライズ化されている計算を、

こちらは、子どもに見せています。

 

 

だから、

こちらの計算の実況中継を見る子は、

この子に見える部分だけを、

この子の見方:パラダイム

見ています。

 

こうなっていますから、

こちらとまったく同じようにできないのです。

 

見えている部分が、

こちらが見せているすべてではなくて、

この子に見ることができる一部分ですし、

しかも見え方は、

この子らしい見え方になっています。

 

必ず、

自分との違いを感じる部分があります。

 

その違いを感じる部分を、

こちらの計算を見ている子が、

自分らしい何かに、

転じることができるまで、

違いを感じたままです。

 

また、

面白いことに、

違いを感じる部分を、

自分らしい何かに転じていると、

見えていない部分も見えるようになります。

 

一般原則で表現すれば、

「できる部分」を増やすだけで、

自然に、自動的に、

「できない部分」が、

「できる部分」に転じます。

 

そしてやがて、

実況中継を見ている子が、

自分も同じようにできると思えたときに、

「なるほど、このようにするのか!」と、

納得します。

 

 

以下に、

12+8= の実況中継を実例にします。

 

12+8= の 1 だけを隠します。

 

見えている 2+8= を、

この子が見たと思えたらすぐ、

「じゅう(10)」と言います。

 

「じゅう(10)」と言った後、

ほんの一瞬の区切りを入れてから、

隠していた 12+8= の 1 を見せて、

見せたらすぐ、

「にじゅう(20)」と言います。

 

ここも、

ほんの一瞬の区切りを入れます。

 

12+8= の 1 を見て、

「じゅう(10)」を、

「にじゅう(20)」に変える操作が、

この子の心に沈む一瞬です。

 

それから、

= の右の余白を無言で示します。

 

この子は、淡々と、

12+8=20 と、

答え 20 を書きます。

 

 

こちらは、

この子ができるはずの

さまざまな力だけに限って、

12+8= の答え 20 の出し方を、

見せています。

 

こちらの実況中継を見るのは、

見せているこちらではなくて、

この子です。

 

すべてを見てしまう子や、

一部分だけを見る子と、

子どもの個人差が大きいところです。

 

1回見れば、

こちらの見せる計算の仕方を、

自分向きにパーソナライズ化できる子がいます。

 

2回、3回と、

見る回数を増やすことで、

自分向きにパーソナライズ化できる子もいます。

 

さまざまです。

個性の違いなのでしょう。

 

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