12+8= や、11+9= や、13+7= を、20 と自力で計算できるようになるまでと、できるようになったときの計算の仕方は、実にさまざまで、多様で、独自です。子どもに合わせることなど、実際にはできませんから、同じパターンの答えの出し方を、繰り返しやってみせる教え方をします。

12+8= の答えの出し方を、

子どもの目の前で、

やってみせます。

 

子どもはそれぞれが独自ですから、

こちらが子どもに、

合わせようとしても、

合わせることが、

現実には不可能です。

 

子どもはどの子も、

独自で、

そして、実に多様です。

 

驚くほど、

さまざまなのです。

 

多くの子を知れば知るだけ、

同じ子が一人としていませんから、

独自性や多様性に、

いまさらのように驚きます。

 

 

だから、

こちらがやってみせる答えの出し方は、

どの子にも同じようにします。

 

子どもに合わせようがないのですから、

合わせようとしないで、

どの子にも同じように、

こちらはやってみせます。

 

12+8= の 1 だけを隠して、

子どもの視線が 2+8= にきたと感じたらすぐ、

「じゅう(10)」と言います。

 

隠していた 12+8= の 1 を見せて、

見せたらすぐ、

「にじゅう(20)」と言います。

 

それから、

= の右の余白を無言で示します。

 

この子が、

12+8=20 と、

答え 20 を書いたら見せ終わります。

 

 

書かない子もいますから、

= の右の余白を示したまま、

「にじゅう(20)」と促します。

 

それでも書かない子がいますから、

「書いて」と誘います。

 

それでも動かない子には、

こちらが鉛筆を持ったこの子の手を包み持ち、

こちらが軽くリードして、

20 を書きます。

 

実にさまざまです。

 

それぞれの子の独自性で、

多様性で、

個性です。

 

 

書くことだけでも、

これだけ多様ですから、

こちらがみせる答えの出し方の

理解の仕方もさまざまで、

多様で、

独自です。

 

1問見れば、「分かった」となり、

同じような計算 11+9= を、

自力で計算でき子がいます。

 

11+9= も、

こちらがやってみせる必要のある子もいます。

 

そういう子には、

同じようなパターンで、

やってみせます。

 

11+9= の左の 1 を隠して、

子どもの視線が 1+9= にきたと感じたら、

「じゅう(10)」、

そして、

隠していた 1 を見せてから、

「にじゅう(20)」、

= の右の余白を無言で示すパターンです。

 

11+9=20 と子どもが書いたら、

こちらが出した答えですが、

20 を書くのは子どもですから、

書く体験が刺激になり、

子どもは何かを感じるものです。

 

そして、

「なるほど、分かった」となることもあれば、

ただ、理解に近づいただけのこともあります。

 

 

鉛筆を持っていない方の手の

人差し指で、

13+7= の 1 を隠して、

そして、

「じゅう(10)」を確認して、

自分の人差し指を引っ込めてから、

13+7=20 と書く子もいます。

 

これらのいくつかの例のように、

12+8= や、

11+9= や、

13+7= を、

20 と自力で計算できるようになったとき、

子どもの計算の仕方は、

こちらがやってみせたようなこともあれば、

かなり違うこともあって、

実にさまざまで、多様で、独自です。

 

ですから、

こちらができることは、

同じパターンの答えの出し方を、

同じような実況中継型のリードをすることで、

その子が、

「分かった」、

「もうできる」となるまで、

繰り返すだけです。

 

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