算数や数学の計算問題は、身に危険など無い安全なところで行います。ですから、「できない部分」を見る見方は不自然です。「できる部分」を見る見方が自然です。

自分が目の前の光景の

どこを見るのかを決めています。

 

そして、

自分が決めた部分だけを見ています。

 

マイナス面、

ネガティブ面、

できていない部分、

して欲しくない行動・・・を、

見ることに決めているのは、

生まれたときの初期設定です。

 

生き物として生きていますから、

危険を避けて、

危険から逃げなければなりませんから、

悪さを見ると決めて、

悪さを見逃さないようにして、

我が身を危険から逃がすことで、

安全を確保したいからです。

 

合理的な初期設定です。

 

 

さて、

算数や数学の計算問題に

自力で答えを出せるような子を

こちらがリードすることで、育てていますから、

身の危険が無いような環境で行っています。

 

悪さを見ると決める理由は、

ほぼゼロなのです。

 

もちろん、

突発的な地震のようなことは、

起こり得るのですから、

悪さを見ると決めることを

ゼロにはできませんけれど、

悪さを見ると決めている見方で、

子どもを見る理由は、ほぼゼロです。

 

 

なお、

自力で答えを出すこと自体を

こちらから子どもに、

言葉などで教えることができません。

 

こちらが、

自力で答えを出している様子を見せることが、

自力で答えを出すこと自体に

最も近いはずです。

 

これでも、

こちらが自力で答えを出すために

頭や心で

どのようなことを行っているのかを

まったく見せてはいません。

 

子どもにしたら、

こちらの頭と心の中の動きが、

ブラックボックスのように見えないままです。

 

 

このように教えることができない対象ですから、

計算の答えを自力で出せるようになること自体

自力で修得すべきことです。

 

自力で修得するのですから、

子どもは、

自力で使える力だけを使うしかないのです。

 

子どもが自力で使える力を使うのですから、

こちらは、

子どもの「できない部分」を見たら

子どもが行っていることと

大きくずれてしまいます。

 

こちらにしても、

子どもの頭と心の動きが見えない

ブラックボックスになっていますが、

子どもの「できる部分」を見るようにすれば、

「できる部分」をどのように利用して、

自力で答えを出せるようになろうとしているのか

ある程度は推測可能です。

 

 

例えば、

{ \normalsize { \begin{array}{rr}\:\:\:\: 42 \\ - 18 \\ \hline \end{array} }} \\  で、

計算から離れて、

いたずら書きをしている子です。

 

「できる部分」を見ることにしていれば、

計算問題  { \normalsize { \begin{array}{rr}\:\:\:\: 42 \\ - 18 \\ \hline \end{array} }} \\  の余白に、

いたずら書きをしていることを見て、

子どもの気持ちの一部分が、

計算問題  { \normalsize { \begin{array}{rr}\:\:\:\: 42 \\ - 18 \\ \hline \end{array} }} \\  に残っていることに、

「間違いないだろう」と気付きます。

 

つまり、

いたずら書き自体にも

いずれ飽きるのですから、

その時、計算問題  { \normalsize { \begin{array}{rr}\:\:\:\: 42 \\ - 18 \\ \hline \end{array} }} \\  に戻る気持ちが、

残っていると推測できます。

 

 

このように子どもを見れば、

いたずら書きの最中の子に、

いたずら書き自体を少しも気にしないで、

いたずら書きなどしていない子にするように、

{ \normalsize { \begin{array}{rr}\:\:\:\: 42 \\ - 18 \\ \hline \end{array} }} \\  の 2 と 8 を示して、

「2-8、引けない」と言って、

「12-8、4」と言って、

8 の真下を無言で示すリードをできます。

 

このような実況中継型リードをできることが、

子どもの「できる部分」を見ることが、

自然に持つ力です。

 

(基本  {\normalsize {α}} -1358)、(+-  {\normalsize {α}} -746)

 

関連:2023年07月17日の私のブログ記事

「どこを見るのかと、何をするのかを、

こちらは自由に選ぶことができます。

筆算のひき算の最中に、

いたずら書きを始めた子への指導を

例にして話します」。