「できない子」を演じている子は、そうしていると気付いていませんが、自分で選んで「できない子」を演じています。

8+5= の8をユックリと見て、

頭の中でユックリと「はち」と黙読して、

「く、じゅう、じゅういち、じゅうに、じゅうさん」と、

ユックリと指を折りながら数えて。

8+5=13 と、ユックリと書きます。

 

そして、

次の問題にユックリと移り、

9+3= の9をユックリと見て、

ユックリと計算し始めます。

 

とても上手な演技です。

「できない子」を見事に演じています。

 

この子は、少しも気付いていませんが、

「できない子」を演じると、

自分で選んで演じています。

 

周りのさまざまな誰かからの

さまざまな影響を受けているでしょうが、

「できない子」を演じることを選んだのは、

この子なのです。

 

テストの点数や、

周りのさまざまなことと比べて、

確かに「できない」から、

「できない子」なのだと、

この子は思っています。

 

「できない子」を演じているだけであるや、

自分が選んで演じているなどと、

言葉で教えられても理解できません。

 

ですから、

「できない子」を演じているこの子に、

「できる子」を演じさせてしまいます。

 

「できる子」を演じることも可能なことを、

体験させてしまいます。

 

リードするこちらは心の中で、

「できない子であろうが、できる子であろうが、

あなたはどちらも演じることができます」、

「あなたがどちらかを選べばいいのです」、

 

「今のあなたは、できない子を演じています」、

「とても上手に演じています」、

 

「算数の計算を学ぶどこかの何かで、

できない子を演じることを選んでいます」、

「その後、そのままできない子を

演じているのが今のあなたです」、

 

「今から、こちらが少しリードして、

あなたにできる子を演じてもらいます」、

「動作を少し速くするだけのリードです」、

「今からできる子を演じると決めて、

できる子を演じます」・・・

このような気持ちです。

 

「できない子」を演じているこの子に、

このような優しい気持ちで、

「できる子」の演じ方をリードします。

 

9+3= の9を素早い動作で示してすぐ、

小声の早口で「く」と言い切り、

「じゅう、じゅういち、じゅうに」と

早口で言いながら、

速い動作で指を3回折って、

9+3= の=の右をピタッと示して、

早口で「ここ、じゅうに(12)」と言い切ります。

 

こちらが心の中で意識している気持ちの優しさと、

この子をリードする素早い動作に合わせるように、

「できない子」を演じているこの子も、

心の中で素早く「じゅう、じゅういち、じゅうに」と

数えていますから、

9+3=12 の12を、

スッと書いてしまいます。

 

「できない子」を演じているこの子が、

「できない子」らしくはない速さで、

こちらのリードについてきますから、

実のところ「できる子」を演じています。

 

数字を見て読む速さも

数字を数える速さも、

数字を書く速さも、

「できない子」を演じているときと

大きく違いますが、

自分でもやろうと思えばできる速さだと

速さを体験したこの子は

何となく感じます。

 

もちろん、

「できない子」と、「できる子」の演じ方の違いは、

数字を見て、読んで、数えて、書くことの

速さだけではありません。

 

次の問題に移る速さや、

計算を楽しむ気持ちや、

集中の長さや深さや、

楽にスラスラと計算できる問題数など

多くの違いがあります。

 

8+7= のようなたし算の計算の中心は、

数字を見て、読んで、数えて、書くことですから、

この速さを変えることができることを

この子は体験したことで、

「できない子」を演じている自分を

心の中で、疑う心が芽生え始めます。

 

「私は、本当にできない子なの?」のような疑いです。

 

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