6+2= の計算の仕方を教えます。
「自分で計算の仕方を発見できない」、
「丁寧に説明してもらえれば計算できる」、
「分かってもすぐに計算できるようにならない」。
このようなブレーキを
そうとは知らずに自分に、
子どもはかけています。
子どもがかけているブレーキは、
子どもが外すまで、かかったままです。
説明が難しいのではなくて、
理解力が足りないのではなくて、
ブレーキをかけているから、
「分かった」となりません。
子どもが自分にかけているブレーキは、
たし算を習う子どもにも、
教えるこちらにも見えません。
だから、
特別に単純な計算手順を教えます。
こうすれば、
ブレーキをかけたままなのか
外したのかを見分けやすくなります。
6+2= の6を示して、
「ろく」と音読します。
+2の2を示して、
「しち、はち」と2回数えます。
=の右を示して、
「ここ、はち(8)」と教えます。
ブレーキをかけたままの子が、
6+2=8 と書きます。
これだけの手順を理解できれば、
計算できます。
子どもがかけているブレーキが、
「そうするのか!」となることを、
抑止しています。
ブレーキをかけていなければ、
1~2問、計算してみせるだけで、
「そうするのか!」と計算手順をつかみます。
ほとんどの子は、
初めての計算を習うとき
ブレーキをかけています。
「そうするのか!」となるまで、
つまり、ブレーキを外すまで
5問10問が必要です。
ブレーキをとても強くかけている子には、
20問30問、
「そうするのか!」となるまで必要です。
ブレーキの内容が、
「自分で計算の仕方を発見できない」、
「丁寧に説明してもらえれば計算できる」、
「分かってもすぐに計算できるようにならない」です。
6+2= の計算手順を、
丁寧に説明することもできますか、
そうするとブレーキが強くかかってしまいます。
子どもは、
ブレーキを外しにくくなります。
6+2= の6を見て、「ろく」と読み、
+2の2を見て、「しち、はち」と2回数え、
6+2=8 と書くだけの
単純な計算手順です。
子どもも、
簡単な計算手順だと
1問2問で気付きます。
だから、
すぐに使えない自分のことを、
何となく不思議に感じます。
無意識にかけているブレーキの仕業だと、
気付くことはありませんが、
何かがおかしいと感じるようです。
たし算よりも先の算数の計算で、
の計算手順を教えます。
やはり、
特別に単純な計算手順を選びます。
8と4を下から上に示しながら、
「はちしさんじゅうに(8×4=32)」に続いて、
8の真下を示して、
「に(2)」です。
子どもが、 と書くのを待って、
「指、さん(3)」です。
次に、8と3を下から斜め上に示しながら、
「はちさんにじゅうし(8×3=24)」、
指に取った3を示して、
「3足して、27」、
3の真下を示して、
「ここ」です。
と計算できます。
単純な計算手順ですから、
1~2問で、つかめるはずです。
でも、
「自分で計算の仕方を発見できない」、
「丁寧に説明してもらえれば計算できる」、
「分かってもすぐに計算できるようにならない」の
ブレーキがかかっています。
ブレーキが子どもを抑止します。
九九が出にくくなります。
繰り上がりのたし残の答えで戸惑います。
子どもがかけているブレーキが、
このように計算を邪魔します。
ブレーキがかかったままの子に、
5問10問と、
同じように計算手順をみせます。
1~2問で、計算手順を理解しますが、
子どもが書けているブレーキが、
「分かった」となることを邪魔します。
3問目から先も同じように教えます。
そして、
子どもがブレーキを外して、
この単純な計算手順を
使う気になるのを待ちます。
さて、
子どもが生きる時代は、
知識時代です。
新しい知識を生み出す仕事に就くのですから、
「自分で計算の仕方を発見できない」、
「丁寧に説明してもらえれば計算できる」、
「分かってもすぐに計算できるようにならない」を
無意識のブレーキとしてかけていたら、
不利でしょう。
子どもがブレーキを外すように
こちらがリードし続ければ、
やがて、
無意識のブレーキをかけない子に育ちます。
(基本 -033)、(+- -026)、(×÷ -021)、