計算の仕方を、頭に持った後、その計算の仕方のように計算します。このように人の頭が働きます。だから、子どもに教えることができます。

算数や、数学の計算の解き方の

習慣を育てる旅が続きます。

 

焦点を当てている習慣は、

問題を眺めて、

計算する前に、

計算の仕方を、決める習慣です。

 

普通の学び方は、

7+4= のようなたし算の計算の仕方を、

こちらから習って、

計算の仕方を知ります。

 

そして、

習って知った計算の仕方を、

頭に持ったまま、

7 を「しち」と読み、

4 をみて、

「はち、く、じゅう、じゅういち」と数えて、

答え 11 を出します。

 

2段階なのです。

頭に、計算の仕方を持ちます。

その計算の仕方で計算します。

と、こうなっています。

 

ですから、

こちらから習って知った知識であろうが、

自分で、

「7 の 4 つ後の 11 なのだろう」と想像しようが、

7+4= を計算する前に、

計算の仕方を頭に持ちます。

 

その後で、

頭に持った計算の仕方で、

7+4= を計算して、

答え 11 を出します。

 

普段ほとんど意識していませんが、

このような回りくどいことを、

人の頭はしています。

 

11-4= のようなひき算も、

同じようにしています。

 

こちらから習って、

計算の仕方を知ることもあれば、

自分で、

「減るのだから、11 の 4つ手前」と想像することもありますが、

11-4= を計算する前に、

計算の仕方を頭に持ちます。

 

その後で、

頭に持った計算の仕方で、

11-4= を計算して、

答え 7 を出します。

 

このような2段階ですから、

実に、

回りくどいことをしています。

 

このような2段階の頭の使い方をして、

7+4= や、

11-4= を計算していることを理解して、

こちらが子どもに、

計算の仕方を教えるとき、

「計算の仕方を先に決めている子」に教えるようにします。

 

つまり、

11-4= の 11 を示して、

「じゅういち」と声に出して読み、

4 を示して、

「じゅう、く、はち、しち」と、逆向きに数えて、

= の右を示して、

「しち(7)」と子どもに教えるとき、

「計算の仕方を先に決めている子」と仮定しています。

 

さて、

子どもの学びが進んで、

やがて、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 28 \\ +\: 15 \\ \hline \end{array} }} \\ のような筆算のたし算になります。

 

計算の仕方を、

「上から下に見る」、

「 8 と、5 を見て、8+5 とする」、

「 2 と、1 を見て、2+1 とする」、

「 8+5=13 の 1 は、左隣に足す」のように、

想像できる子がいます。

 

少数の発想がとても豊かな子です。

 

大多数の子は、

こちらから習って、

計算の仕方を知ります。

 

自分で、計算の仕方を想像できる子も、

習って、計算の仕方を知る子も、

計算する前に、

計算の仕方を頭に持って、

その後で、計算します。

 

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 28 \\ +\: 15 \\ \hline \end{array} }} \\ の計算は、

8 と、5 を、上から下に見て、

8+5=13 と計算して、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 28 \\ +\: 15 \\ \hline \:\:\:\:3\end{array} }} \\ と書いて、

13 の 1 を覚えて、

続いて、2 と、1 を、上から下に見て、

2+1=3 と計算して、

繰り上がり数 1 を足して、4 にして、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 28 \\ +\: 15 \\ \hline\:\:43\end{array} }} \\ と書きます。

 

計算の仕方を、

計算する前に、

頭に持つから、

このように計算できます。

 

人の頭は、

このような回りくどいことを、

普段、意識していないままにしています。

 

実は、

こちらが、

子どもに教えることが可能なのは、

人の頭が、

このような働き方をするからです。

 

(基本  {\normalsize {α}} -287)、(+-  {\normalsize {α}} -185)