さまざまな計算の奥に、子どもは、何らかの「形」を見ています。すると、計算以外の生活や人生の奥にも、何らかの「形」を見るような子もいます。

三角形や、四角形や、円の図形。

  {\Huge {△}}     {\Huge {□}}    {\Huge {〇}}

 

このような図形を見るように、

算数や数学の計算の奥に、

子どもは、

ボンヤリと何かの「形」を見ています。

 

暗算の計算に慣れた子は、

たし算 7+8=15 や、

ひき算 13-4=9 や、

かけ算 2×6=12 や、

わり算 32÷4=8 の計算の奥に、

数字が消えた計算の「形」、

たし算 〇+〇=〇 や、

ひき算 〇-〇=〇 や、

かけ算 〇×〇=〇 や、

わり算 〇÷〇=〇 を見ています。

 

正確には、

頭の中に、

たし算 〇+〇=〇 のような

数字が、〇 になった「形」ではなくて、

7+8=15 の 7 と 8 と 15 が

消えて見えていない

何かの「形」を見ています。

 

筆算のたし算に慣れた子は、

筆算のたし算  {\normalsize { \begin{array}{rr} 345 \\ +\: 987 \\ \hline \end{array} }} \\ の奥に、

数字が消えて見えない

何かの「形」  {\normalsize { \begin{array}{rr}〇〇〇\\ +\:〇〇〇\\ \hline \end{array} }} \\ を見ています。

 

同じように、

筆算のひき算 { \normalsize { \begin{array}{rr}\:\:\:\: 52 \\ - 38 \\ \hline \end{array} }} \\ の奥に、

数字が消えて見えない

何かの「形」 { \normalsize { \begin{array}{rr}\:\:\:\:〇〇\\ -〇〇\\ \hline \end{array} }} \\ を見ています。

 

筆算のかけ算  {\normalsize {  \begin{array}{rr}  34 \\ \:\times  \:\:\:\: 8 \\ \hline \end{array}  }}\\ の奥に、

数字が消えて見えない

何かの「形」  {\normalsize {  \begin{array}{rr}  〇〇\\ \:\times  \:\:\:\: 〇 \\ \hline \end{array}  }}\\ を見ています。

 

もちろん正確には、

〇 で書かれた「形」  {\normalsize { \begin{array}{rr}〇〇〇\\ +\:〇〇〇\\ \hline \end{array} }} \\ や、

{ \normalsize { \begin{array}{rr}\:\:\:\:〇〇\\ -〇〇\\ \hline \end{array} }} \\ や、

 {\normalsize {  \begin{array}{rr}  〇〇\\ \:\times  \:\:\:\: 〇 \\ \hline \end{array}  }}\\ ではなくて、

数字が消えて見えていない

何かの筆算のような「形」です。

 

四則混合 13÷(2- {\Large\frac{1}{7}} )= や、

 {\Large\frac{2}{5}} {\Large\frac{3}{10}} )× {\Large\frac{5}{6}} {\Large\frac{11}{12}}= の奥に、

数字が消えて見えない

何かの「形」 〇 ÷( 〇-〇 )= や、

( 〇-〇 )× 〇+〇= のように、

式全体を見ています。

 

計算する前に、

計算順を決めさせるようにすると、

子どもは自然に、

〇 で書かれた「形」 〇 ÷( 〇-〇 )= や、

( 〇-〇 )× 〇+〇= ではなくて、

数字が消えて見えていない

何かの数式のような「形」を見るようになります。

 

連立方程式の解き方で、

「何を消すの?」と、

「どうするの?」が、

子どもの内面の習慣になったとき、

子どもは、

連立方程式 {\begin{eqnarray}\left\{\begin{array}{1}7x+2y=12\\5x+2y=8\end{array}\right.\end{eqnarray}} の奥に、

文字や一部分の数字が消えて見えない

何かの「形」 {\begin{eqnarray}\left\{\begin{array}{1}7〇+2〇=〇\\5〇+2〇=〇\end{array}\right.\end{eqnarray}} を見ています。

 

もちろん正確には、

〇 で書かれた「形」 {\begin{eqnarray}\left\{\begin{array}{1}7〇+2〇=〇\\5〇+2〇=〇\end{array}\right.\end{eqnarray}} ではなくて、

文字や一部分の数字が消えて見えていない

何かの連立方程式のような「形」です。

 

 {4x^{2}y^{2} -y^{2}}=因数分解の奥に、

式を  {4x^{2}〇-〇}= のように見ることで、

公式 :  {〇^{2} -□^{2}}=(〇+□)(〇-□)

隠れていることを見ています。

 

このように、

算数や数学のさまざまな計算の奥に、

何かの「形」を見るようになった子は、

計算以外の別の対象の奥にも、

何らかの「形」を見るようになるようです。

 

計算に限らずに、

広くさまざまな対象の奥に、

見える何らかの「形」は、

見えるものの個人差が、

やはりとても大きいようです。

 

生活や人生の奥に、

見える何らかの「形」が、

ある子には、

いわゆる3幕構成の物語になっています。

 

「始め」、

「中」、

「終わり」の3幕構成です。

 

このような3幕構成の流れが、

何らかの「形」に見えるようです。

 

例えば、

朝起きて(「始め」)、

暮らして(「中」)、

夜寝ます(「終わり」)。

 

掛かってきた電話に出て(「始め」)、

話してから(「中」)、

電話を切ります(「終わり」)。

 

さらに、ある子には、

生まれて(「始め」)、

生きて(「中」)、

死にます(「終わり」)のような3幕構成を、

何らかの「形」と見るようです。

 

こういう子は、

自分の人生物語を意識し始めるでしょう。

 

(基本  {\normalsize {α}} -338)、(+-  {\normalsize {α}} -217)、

(×÷  {\normalsize {α}} -083)、(分数  {\normalsize {α}} -118)