筆算のたし算の繰り上がりの有無は、少しの違いです。大筋は、似た計算です。子どもが、少しの違いの繰り上がりの有無に焦点を合わせると、混乱します。

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 45 \\ +\: 12 \\ \hline \end{array} }} \\ は、繰り上がりがありません。

 

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 45 \\ +\: 18 \\ \hline \end{array} }} \\ は、繰り上がりがあります。

 

計算の仕方は、

ほとんど同じなのですが、

繰り上がりの計算部分だけが、

ほんの少しだけ違います。

 

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 45 \\ +\: 12 \\ \hline \end{array} }} \\ も、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 45 \\ +\: 18 \\ \hline \end{array} }} \\ も、

① 一の位の数だけを縦に見て足すことと、

② 答えを真下に書くことと

③ 十の位の数だけを縦に見て足すことと、

④ 答えを真下に書くことは同じです。

 

 

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 45 \\ +\: 12 \\ \hline \end{array} }} \\ は、

① 5+2=7 と計算して、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 45 \\ +\: 12 \\ \hline \:\:\:\:7\end{array} }} \\ と書いて、

③ 4+1=5 と計算して、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 45 \\ +\: 12 \\ \hline\:\:57\end{array} }} \\ と書きます。

 

繰り上がりは、

ありません。

 

 

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 45 \\ +\: 18 \\ \hline \end{array} }} \\ は、

① 5+8=13 と計算して、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 45 \\ +\: 18 \\ \hline \:\:\:\:3\end{array} }} \\ と書いて、

1 を繰り上がり数として覚えて、

③ 4+1=5 と計算して、

繰り上がり数 1 を足して、6 にして、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 45 \\ +\: 18 \\ \hline\:\:63\end{array} }} \\ と書きます。

 

繰り上がりの計算があるために、

少し、

余分な計算をします。

 

位ごとに、

上から下に見て足す・・のような

大筋の計算は、

同じです。

 

 

このように、

全体の計算が似ていて、

その一部分だけが少し違う計算は、

混乱することがあります。

 

大筋が同じことよりも、

少しの違いに気を取られてしまうと、

混乱してしまいます。

 

例えば、

繰り上がりのない  {\normalsize { \begin{array}{rr} 45 \\ +\: 12 \\ \hline \end{array} }} \\ を、

繰り上がりがあるような計算をして、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 45 \\ +\: 12 \\ \hline\:\:67\end{array} }} \\ とすることがあります。

 

あるいは、

繰り上がりのある  {\normalsize { \begin{array}{rr} 45 \\ +\: 18 \\ \hline \end{array} }} \\ を、

繰り上がりがないような計算をして、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 45 \\ +\: 18 \\ \hline\:\:53\end{array} }} \\ とすることがあります。

 

筆算のたし算という大筋ではなくて、

繰り上がりの有無のような

少しの違いを区別できなくて、

混乱しています。

 

 

このように混乱している子を見ると、

とても自然な感情として、

「助けてあげる」や、

「正しくできるようにしてあげる」と、

こちらは思うことがあります。

 

でも、

残念な事実ですが、

こちらが、

混乱している子を、

助けることも、

正しくできるようにしてあげることも、

実は、できないことなのです。

 

 

こちらができることは、

「混乱している」事実を見ることと、

「大変だ・・」や、

「困っている・・」のような子どもの気持ちを

理解しようとすることです。

 

子どもの今の状態を、

冷静な科学者の観察のように、

事実として見ることは、

こちら自身のことです。

 

だから、

大筋の計算はできていることと、

繰り上がりの有無の

少しの違いに混乱していることを、

冷静に見ることができます。

 

子どもの気持ちを推測することも、

こちら自身のことです。

 

そして、

少しの違いを、

この子は見ているから、

「混乱という

起こることを起こしている」と、

子どもの気持ちの原因を特定できます。

 

このように、

自分自身のことですから、

自分でコントロールできます。

 

 

でも、

混乱から抜け出て、

繰り上がりの有無を区別して、

正しく計算できるようになるのは、

子ども自身のことです。

 

教えることで、

このようにできると、

思われているようですが、

計算するのは子どもなのです。

 

繰り上がりがないのに、

繰り上がりがあるように、

1 を足して、

計算してしまうのは、

この子なのです。

 

この子が、

計算しているときに、

「1 がない」のように、

自分をコントロールして、

繰り上がりのない計算を

できるようになれば、

繰り上がりの有無の混乱から、

抜け出ています。

 

少しの違いの

繰り上がりの有無から離れて、

大筋の計算を見るようになれば、

この子は、

混乱から抜け出ることができます。

 

 

正しく計算できるようになるのは、

この子自身であり、

こちらがどうこうできることではないと、

ハッキリと割り切らなければなりません。

 

こちらは、

繰り上がりの有無が

少しの違いと分かっていますが、

混乱しているこの子には、

とても大きな違いに見えています。

 

だから、

繰り上がりの有無を、

強調しないように注意して、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 45 \\ +\: 12 \\ \hline\:\:67\end{array} }} \\ と計算した子の訂正を手伝います。

 

5 と 2 を示して、

「5+2=7」、

子どもの答え 7 を示して、

「合っている」です。

 

続いて、

4 と 1 を示して、

「4+1=5」、

子どもの答え 6 を示して、

「ここ、5」です。

 

ただ、

これだけです。

 

繰り上がりのない計算を、

正しくできるようになるのは子どもですから、

アレコレと言葉で、

説明しません。

 

 

「混乱している」ため、

「大変だ・・」や、

「困っている・・」と感じている子に、

子どもが間違えたたし算を、

こちらが計算し直して、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 45 \\ +\: 12 \\ \hline\:\:67\end{array} }} \\ を、

10 秒もかけずに、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 45 \\ +\: 12 \\ \hline\:\:57\end{array} }} \\ と直してしまいます。

 

 

ネガティブな状態 : 「混乱している」で、

ネガティブな気持ち : 「大変だ・・」や、

「困っている・・」の子に、

10 秒もかけずに直してしまうのですから、

子どもを、少しだけポジティブにできます。

 

ポジティブになることで、

繰り上がりの有無の

計算の少しの違いではなくて、

似ている大筋の計算に、

焦点を移すようになります。

 

実際に、

試していただくと、

その効果を実感できるはずです。

 

(基本  {\normalsize {α}} -495)、(+-  {\normalsize {α}} -289)