繰り上がりのアル と、
繰り上がりのナイ の計算で、
混乱しています。
は、
8+5=13 の 3 だけを、
と書いて、
13 の 1 を、覚えて、
2+1=3 に足して、
3+1=4 と計算して、
と書きます。
は、
6+3=9 と計算して、
と書いて、
2+1=3 と計算して、
と書きます。
メインの計算は同じです。
繰り上がりのたし算がオプションで違います。
当事者のこの子は、
混乱していて、
区別できないのですから、
「何が何やらサッパリ分からない」状態です。
この子に教える前に、
どのような育ちを期待するのかを決めます。
や、
のような筆算のたし算を、
正しく計算できるように、
この子を育てたいのでしたら、
「繰り上がり」のような言葉を使って、
計算の仕方を丁寧に説明して、
キチンと理解できるような教え方をします。
これとは違いますが、
正しく計算できるように育てるだけではなくて、
繰り上がりの有無で、
少しだけ違う計算の仕方を、
区別できるようになったときに、
「計算の仕方をつかみ取ったうれしさ」を、
感じさせたいのでしたら、
言葉での説明を避けて、
ただ計算の実況中継を見せるだけにします。
仮に、
「教えられたから、できるようになった」と、
この子が感じるようでしたら、
「計算の仕方をつかみ取ったうれしさ」を、
少ししか感じることができないでしょう。
そうではなくて、
次のような計算の実況中継を見ただけで、
計算できるようになったのでしたら、
子どもの感じ方が、
大きく違ってきます。
計算を見せられただけなのですから、
「教えられたから・・」と感じることはないはずです。
の 8 と 5 を示しながら、
「8+5=13」と計算して、
5 の真下を示して、
「ここ、3」とリードして、
と書くのを待ってから、
「指、1」と教えます。
続いて、
の 2 と 1 を示しながら、
「2+1=3」と計算して、
子どもが指に取っている 1 を触って、
「1 足して、4」とリードして、
15 の 1 の真下を示して、
「ここ、4」です。
こちらのこのような実況中継を見ている子は、
と書きます。
この子から、
計算の仕方を聞かれたときや、
間違えた問題を直せないときに、
こちらの計算を見せる教え方をします。
繰り返し、この子に、
こちらの計算の実況中継を見せていると、
必ず、
「あっ、そういうことか」や、
「分かった」のようになります。
そして、
ここでの例のように、
こちらの計算だけを見せる実況中継ですから、
「教えられたから・・」と感じるよりも、
「自分が、計算の仕方をつかんだ」と感じます。
だから、
「計算の仕方をつかみ取ったうれしさ」が、
とても大きくなります。
(基本 -397)、(+- -247)