--= は、
慣れるまでの個人差の大きな計算です。
計算はシンプルです。
+= に、
マイナス記号 - を付けて、
- を、答えにするだけです。
つまり、
--= は、
- 、- となっていますから、
- を取った と、 を足して、
足した答え に、
取ってしまった - を戻すだけです。
このような計算を、
スッと受け入れてしまう子は、
--= の計算に、
すぐに慣れてしまいます。
「えっ、どういうことですか?」や、
「どうして、そうできるのですか?」のような子は、
慣れるのが遅れます。
このような子は、
例えば、
--=- のような計算をします。
間違えています。
そして、
「×(バツ)」が付いたら、
ここでもまた、
「どうしてですか?」と言います。
「まず、正しい答えをだせるようになりなさい」、
「そうすれば、その答えを出せる力を利用して、
計算の理由を説明できます」、
「さて、理由の説明は、
必ず、何かを正しいと認めて、
そして説明します」、
「+ と + 、あるいは、- と - であれば、
計算はたし算です」、
「+ と - 、あるいは、- と + であれば、
計算はひき算です」、
「これを正しいと認めれば、
あなたは、式を見ることで、
たし算なのか、ひき算なのかを、
決めることができます」、
「どうして、これで計算の種類を
決めることができるのかは、
さらに別の何かを正しいと認めて、
そして説明します」、
「このように、深く深くなっていきます」と、
このように話して聞かせても、
--= を、たし算と決めて、
1+5=6 と計算して、
- を付けて、
- とできるようにならないでしょう。
このような子には、
強い甘えがあるからです。
つまり、
「自分が計算できるようになる」のような
主体性の責任感が弱いからです。
とても乱暴な教え方ですが、
でも、とても効果的なのは、
「甘えるな!」と、
突き放してしまうことです。
「甘えるな!」に限らなくても、
何らかの方法で、
この子の甘える気持ちを、
取り去ることができれば、
--= の答えの出し方を、
自分がつかもうとします。
こうなってから、
答えの出し方を教えれば、
パッとつかむことができて、
自力で、正しい答えを出すことができます。
「甘え」が消えて、
主体性の責任感に目覚め始めたとします。
以下のような実例で、
答えの出し方を教えます。
答えの出し方だけに絞っています。
--= の 2つの - を示しながら、
「マイナス、マイナス、たし算」、
1 と 5 を示しながら、
「1+5=6」、
= の右を示して、
「マイナス、上 6 、下 7 」です。
このリードを見て、聞いていた子は、
--=- と書きます。
(基本 -671)、(分数 -282)