の答えを、
自力で、
一定の速いスピードで出して、
と書く子に育つプロセスで、
子どもは、
知性の潜在能力だけではなくて、
精神や社会情緒の潜在能力まで開発して、
顕在化しています。
知性面の潜在能力の開発だけを
気にする風潮があるために、
精神面や社会情緒面の潜在能力が、
開発されて顕在化していることに
気が付かないだけです。
の答えの出し方を、
教えてもらい、
理解することでしたら、
これだけでも多大な努力が必要ですから
知性面の潜在能力が開発されるのでしょう。
でも、
理解するだけではなくて、
自力で、
同じようなやり方で、
の答えを出せる子に育つには、
知性面だけでは足りないようです。
自分が自分を動かす肉体面や精神面、
自分のさまざまな気持ちを
答えを出すことに向けさせる社会情緒面も
必要になるようです。
例えば、
の一部分
だけを見るように、
自分が自分をコントロールするのですから、
知性面だけでは足りないでしょう。
しかも面白いことに、
の一部分
だけを見ている子ども自身、
自分がそうしていることに
ほとんど気が付かないまま
このような見方をしています。
気が付いていないのに、
このような不思議な見方をできるのですから、
潜在能力の働きです。
そして、その潜在能力は、
知性面というよりも、
自分が自分をコントロールする
肉体面や、
精神面の潜在能力の働きのようです。
さらに、
の 5 と 5 を上から下に見て、
5+5=10 と足して、
10 の一部分 0 だけを、
と書いて、
10 の残りの一部分 1 を、
次のたし算の答えに足すと決めて、
それから、
8 と 1 を上から下に見て、
8+1=9 と足して、
足すと決めていた 1 を、
9+1=10 と足して、
と書くまでの
それぞれをしているときに、
「そうしたくない」気持ちが、
アレコレと現れる中、
自分をコントロールして、
答えを出す手順を続けさせるのですから、
社会情緒面の潜在能力も必要になります。
「遊びに行きたい」、
「眠い」、
「嫌だなぁ」・・・のような
さまざまな気持ちが次々に
子どもの心に現れても、
自分がそうしているとは気付かないまま、
答えを出すことに向かわせています。
気付かないままに、
こうしているのですから、
社会情緒面の潜在能力の働きなのでしょう。
しかも、
の答えを、
一定の速いスピードで、
出せる子に育とうとすれば、
より強く自分をコントロールしますから、
肉体や、
精神や、
社会情緒の潜在能力の働きが、
より多く必要になります。
散在能力は、
適度な刺激を受けて働くときに、
開発されて顕在化しますから、
の答えを
一定の速いスピードで出そうとすることで、
肉体や、
精神や、
社会情緒の潜在能力が開発されます。
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