繰り下がりのある筆算のひき算で、「引けない」と言いますから、繰り下がりのない計算で、「引ける」と、わざわざ言葉を過剰にして教えることがあります。混乱から抜け出る手掛かりです。

突然ですが、

{ \normalsize { \begin{array}{rr}\:\:\:\: 36 \\ - 19 \\ \hline \end{array} }} \\  でしたら、

6 と 9 を示しながら、

「6-9= 、引けない」、

「16-9=7」とリードします。

 

このような繰り下がりのあるひき算で、

「6-9= 、引けない」だけにして、

「16-9=7」とリードするだけにすれば、

子どもは必ず、

「えっ?」となります。

 

考え始めます。

自動的なのです。

 

「考えなさい」などと

余計なことを言うまでもないのです。

 

子どもは、

勝手に自主的に考え始めます。

 

「引けないと言われた理由」を知りたいのです。

 

つまり、

自己責任の主体性が

そうとは知らずに育つのです。

 

 

このような教え方と違って、

言葉を多くします。

 

「引けないから、1 借りる」や、

「隣から 1 借りる」や、

「1 借りて、16」と、

言葉を多くします。

 

こうすると、

この自然な結果として

甘えの依存が育ちます。

 

こちらの過剰なリードが、

甘えの強い子を育ててしまいます。

 

そして、

こちらの言葉による教えに

反応する子になります。

 

 

これも突然ですが、

{ \normalsize { \begin{array}{rr}\:\:\:\: 36 \\ - 13 \\ \hline \end{array} }} \\  の 6 と 3 を示しながら、

「6-3= 、引ける、3」とリードします。

 

「6-3= 、引ける、3」のように、

やや過剰に言葉を増やしています。

 

普通は、

「6-3=3」だけで十分なのですが、

繰り下がりのあるひき算に慣れた後、

繰り下がりのないひき算で

混乱する子がいます。

 

混乱した子に、

「6-3= 、引ける、3」のように、

やや過剰は言い方をします。

 

甘えさせるためではなくて、

混乱から抜け出る手掛かりです。

 

(基本  {\normalsize {α}} -1224)、(+-  {\normalsize {α}} -662)