集中が切れることは、普通に起こります。切れている集中を戻すことは、普通に起こりません。切れている集中と無関係に、戻したいと思ったときに戻せることは、体験して知ることです。

6+7= 、4+5= 、7+3= のような

たし算 100問の答えを、数えて出します。

 

例えば、

6+7=  の 6 の次の 7 から、

+7 の 7回、

7、8、9、10、11、12、13 と数えて、

答え 13 です。

 

この子は、計算に慣れているので、

かなり速いスピードで数えることと、

パッと答えを書くことと、

すぐに次の計算を始めることを、

テキパキとできます。

 

この子が、たし算 100問を、

6+7=  の 6 を見て、次の 7 を出すこと、

7、8、9、10、11、12、13 と 7回数えること、

6+7=13  と書くこと、

次の問題  4+5= の 4 を見て、次の 5 を出すこと、・・・・・・と、

違う作業を計算の流れの順に

次々に切り替えながら

全体を速いスピードで進めます。

 

かなり深い集中が必要です。

 

このようなたし算 100問を計算すると、

集中が続いたとしても、

5~10分は掛かるものです。

 

ですから、

かなり深い集中を

5~10分続けられれば、

5~10分で、100問の計算が終わります。

 

 

さて、

かなり深い集中を、

5~10分間続けることは、

そうできるものではありません。

 

途中で、

1回、2回、3回と、集中が切れて、

たし算の計算から離れてしまうのが普通です。

 

つまり、

集中が切れることは、

普通なのです。

 

問題でも何でもないのです。

 

普通に起こることが起こっただけです。

 

 

だから、

集中が切れていること自体、

普通に起こることが起こっただけですから、

問題視しないのです。

 

と、

このように捉えることができれば、

目の前で集中が切れて

たし算の計算から離れている子を

普通に起こることが起こっているだけと、

こちらは、

心穏やかなままで見ることができます。

 

 

そして、

普通に起こった集中が切れていることから、

たし算の計算に戻ることを教えます。

 

集中が切れていることを、

こちらは、

普通に起こることが起こっただけと捉えています。

 

集中が切れている子ども自身にも、

普通に起こることが起こって

集中が切れていると思って欲しいので、

次のことに注意して教えます。

 

切れている集中のことを

まったく無視したままにして、

止まったままの計算  4+5=  の答え 9 を、

こちらが数えることを代行して出してしまいます。

 

こうすれば、

切れている集中を気にしないで、

4+5=  の 4 を見て、

その次の 5 から、

5、6、7、8、9 と 5回数えて、

答え 9 を出しているこちら自身を、

子どもに見せることになります。

 

 

このような教えられ方をした子は、

子ども自身、切れている集中を気にしないで、

止まっている計算  4+5=  の

答え 9 を出すことを、

自分が始めたいときに、始めていいことを、

疑似体験を通して学ぶことになります。

 

集中が切れることは、

普通に起こることです。

 

普通に起こることが起こって、

集中が切れたままのとき、

「さて、計算に戻るか」と思ったとき、

すぐに計算を始めていいことは、

じつは普通に起こることではありませんから、

体験することで学ぶことになります。

 

集中が切れたままでも、

切れている集中とまったく無関係に、

計算を始めたいときに、

いつでも、始めることができることは、

普通に起こることではないので、

体験して始めて、

「なるほど、できるよ」と知る体験知です。

 

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関連:2023年06月30日の私のブログ記事

「集中が切れることは、普通に起こります。

切れている集中を戻すことは、

普通に戻りません。

切れている集中と無関係に、

戻したいと思ったときに戻せることは、

体験して知ることです」。