7+6=、9+3=、8+4=、・・・
このようなたし算 100問を計算しています。
7+6= の 7 の次の 8 から、
8、9、10、11、12、13 と 6回数えて、
7+6=13 と書く子です。
100問の途中で、
集中が切れてボ~ッとしています。
さて、
子どもを評価することの本質は、
裁くことと理解します。
だから、
何を裁くのかを、
前もって決めておきます。
例えば、
私語や、
集中が切れてボ~ッとしている状態や、
眠そうな状態を、
裁く対象、
つまり、
子どもを評価する対象として、
選びますか?
実は、
私語や、集中が切れた状態は、
こちらの外のことで、
子どもに起こってしまったことです。
こちらの重要なことは、
目の前の子を育てることです。
子どもに起こってしまった私語や、
切れている集中を評価する対象として選び、
子どもを裁こうとすれば、
こちらの外の子どもに起こったことに、
振り回されてしまいます。
そして、
こちらの重要な子どもを育てることが、
おろそかになってしまいます。
このように、
子どもに起こったことを裁こうとすると、
自然に、
こちらの重要な子どもを育てることが、
おろそかになります。
ですから、
子どもに起こってしまう
私語や、集中が切れた状態を、
裁く対象として選びません。
対象としませんから、
目の前で、私語や、集中が切れた状態を見ても、
裁きません。
まったく気にしません。
そして、
裁く対象として、
① 自力で答えを出せるのか?
② 答えを出すスピードは十分か?
この 2つに絞ります。
この子は、自力で、
7+6= の 7 の次の 8 から、
8、9、10、11、12、13 と 6回数えて、
7+6=13 と書きますから、
答えを出すことはできています。
裁く対象ですが、
自力で答えを出せるのですから、
ここは、合格です。
裁く必要のないことになります。
ですが、
集中が切れてボ~ッとしていますから、
答えを出すスピードが、ゼロです。
答えを出すスピードは不合格です。
と、
このように子どもを裁きます。
そして、
集中が切れて止まっているたし算 9+3= の
答えを出す手伝いをします。
「どうしたの?」や、
「答えを出していない」のようなことを言わないで、
まったく突然に、
9+3= の 9 を示します。
集中が切れてボ~ッとしている子は、
突然に、
9 を示されたからこそ、
突然に、
たし算の答えを出していたことを思い出します。
続くこちらの手伝い、
「く」と読まれるのを聞いて、
3 が示されるのを見て、
「じゅう、じゅういち、じゅうに」と、
こちらが数えるのを聞いて、
= の右を示されるのを見て、
「じゅうに」と促されることを聞きます。
とても自然に、
9+3=12 と書いてしまいます。
そして、
答えを出すスピードが、
ゼロではなくなります。
続いて、同じように、
3~4問の答えを出す手伝いをされると、
「できるのに・・・」の気持ちが強くなり、
「もう、できる」のようなことを主張して、
拉致されてしまった自分のたし算を、
取り戻して、
一定の答えを出すスピードで、
たし算を続けます。
(基本 -919)、(+- -493)