子どもが伸びようとする思いを、子どもの心の中の育ちの扉と解釈すると、イメージ化できます。この扉は、中から開けることができます。

子どもは、どの子も、

育ちたい・・・と、

心の中でとても強く思っています。

 

この心の思いは、

育ちの扉のようなもので、

内側からしか開けられないのです。

 

子どもが、自ら、

開けようと思って開ければ、

この育ちの扉が開いて、

子どもは育ちます。

 

ですが、

どれだけ強い力で開けようとしても、

外側からは、

開けることができないのです。

 

内側からだけ、

開けることができます。

 

 

さて、

7+6= 、9+3= 、8+4= のような

たし算 100問の途中で、

集中が切れてボ~ッとしたままになる子です。

 

集中の育ちのレベルが低いために、

自力で、計算に戻ることができないまま

しばらくボ~ッとしてしまいます。

 

この子の集中の育ちが向上すれば、

集中が切れてボ~ッとしても、

じきに、自力で計算に戻ることができます。

 

 

集中が切れてボ~ッとしたままの子が、

心の中の育ちの扉を、

内側から開ければ、

集中が育ちます。

 

そして、

じきに、自力で計算に戻るようになります。

 

心の中の育ちの扉を、

この子が内側から開けるから、

このように育つことができます。

 

 

この子に、

「どうしたの?」、

「できるでしょ」、

「少し手伝うから、一緒に計算しようか?」と、

助言したらどうなるでしょうか?

 

このような助言をすることは、

気付きにくいのですが、

じつは、子どもの心の中の育ちの扉を、

外から開けようとする努力なのです。

 

外からは、開けることができない扉を、

外から開けようとするから、

「どうしたの?」、

「できるでしょ」などと、助言するのです。

 

残念ながら、

外から開けることができませんから、

子どもの心の中の育ちの扉は、

まったく動くことなく、

開けることができません。

 

 

止まっているたし算  9+3=  の 9 を示して、

「く」と声に出して言って、

3 を示して、

「じゅう、じゅういち、じゅうに」と声に出して言って、

= の右の余白を示すような

実況中継型リードを繰り返します。

 

こちらが、

自力で答えを出す様子を見せるだけです。

 

子どもの心の中の育ちの扉を、

外から開けようと、

まったくしていないのです。

 

「中からなら開けることができます」、

「こちらの計算を見せます」、

「まねするだけで、

育ちの扉を開けることができるから、

中から開けてごらん・・・」と誘っているだけです。

 

 

蛇足ながら、

このような実況中継型リードを見た子が、

こちらが出した答え 12 を、

9+3=12  と書いたとき、

「書いたね」、

「もうできるかな?」と言ってしまったら、

子どもの心の中の育ちの扉を、

外から開けようとしていますから、

子どもが中から開けた扉が、

閉じてしまいます。

 

このような一言は

控えた方が賢明でしょう。

 

(基本  {\normalsize {α}} -1343)、(+-  {\normalsize {α}} -733)

 

関連:2023年07月02日の私のブログ記事

「9+3=  のたし算で、

集中が切れてボ~ッとしている子に、

二人芝居で集中を戻し、

たし算計算に戻します。

生身の人間の個性の違いを、

役者の力量で乗り越えます」。