筆算のひき算 50問を、計算することを選ぶことができます。愚痴を言うことや、いたずら書きを選ぶこともできます。何を選ぶかで、自然な結果が違います。いたずら書きを選べば、50問は少なくなりません。少なくなるのは、計算することを選んだときです。

計算することを選んで

選んだように計算しています。

 

例えば、

{ \normalsize { \begin{array}{rr}\:\:\:\: 32 \\ - 15 \\ \hline \end{array} }} \\  の筆算のひき算 50問を、

自力で計算しています。

 

計算を始めるとき、

子ども自身をリードするリーダーが、

計算することを選んで、

そして、子ども自身をリードして、

自力で答えを出しています。

 

子ども自身をリードするリーダーが、

計算することを選ばないで、

「あ~ぁ、嫌だなぁ」、

「計算したくないなぁ」のように

アレコレとぐだぐだと

心の中で愚痴を言うことを選べば、

子どもは計算しないで、

心の中で愚痴を言います。

 

 

何を選ぶのかは自由ですが、

選んだことが生み出す自然な結果は、

選べないのです。

 

計算することを選んで、

自力で答えを出せば、

計算した問題数分だけ、

50問から少なくなります。

 

愚痴を言うことを選んで、

心の中で愚痴を言えば、

50問は、そのまま残っています。

 

自然な結果は、

子どもが選んだことを、

行ったことが生み出しますから、

子どもは選ぶことができないのです。

 

 

つまり、

愚痴を言うことを選んで、

心の中で愚痴を言っていながら、

50問が減ることなど起こらないのです。

 

50問が減るのは、

計算することを選んで、

自力で答えを出したときだけなのです。

 

 

愚痴を言うことではなくて、

いたずら書きを選んだときも同じです。

 

いたずら書きを選び、

いたずら書きをしていれば、

いたずら書きが進むだけです。

 

何かが描かれていくでしょう。

これが自然な結果です。

 

いたずら書きを選んで、

いたずら書きをしていながら、

50問が減ることを願ったとしても、

そうはなりません。

 

いたずら書きをしていて、

50問が少なくなる自然な結果は、

起こらないのです。

 

 

さて、

いたずら書きをしていても、

子どもが望むことは、

50問が終わることです。

 

でも、

いたずら書きを続ければ、

50問は少しも減らないのですから、

50問が終わることもありません。

 

ですから、

子どもが望む欲しい結果を得るために、

いたずら書きをしている最中の子に、

こちらが答えを出すことを代行して、

{ \normalsize { \begin{array}{rr}\:\:\:\: 32 \\ - 15 \\ \hline \end{array} }} \\  の 2 と 5 を示して、

「2-5、引けない」と言って、

「12-5、7」と引いて、

5 の真下を無言で示します。

 

こうすれば、

50問を終わらせる結果を望むのであれば、

計算することを選ばなければならないことを、

言葉でアレコレ言わないで、

子どもに体験させることができます。

 

(基本  {\normalsize {α}} -1355)、(+-  {\normalsize {α}} -743)

 

関連:2023年07月14日の私のブログ記事

「子どもが何をしていても、

自分で選ぶとはなく選んでいます。

計算の途中で、いたずら書きをしているのは、

子どもが選んだからです。

でも、再び、答えを出すことを

選ぶこともできます」。