を、
「分からない」と聞かれたとき、
こちらは、子どもの顔をまったく見ません。
「分からない」と聞かれたそのときから、
問題 だけを見ます。
子どもは、
こちらの顔を見て、
「分からない」と聞いて、
そのままこちらの顔の表情を探っています。
こちらが、
問題 だけを見ているのに、
子どもは、
こちらの顔を見ているようであれば、
問題を見たままで、
「どこ?」と、
子どもに聞きます。
「どこ?」と聞くことで、
こちらを見ている子どもの視線を
問題 に移すことができます。
そして、
子どもの視線が、
問題 に移ったらすぐ、
7 と 5 を示して、
「しち足すご、じゅうに(7+5=12)」と言って、
5 の真下を示して、
「ここ、に(2)」、
「指、いち(1)」と言います。
子どもが、
と、2 を書いて、
指を 1本伸ばしたら、
「そう」と認めるように受け止めて、
115 の十の位の 1 を示して、
子どもが伸ばした指を触って、
「いち足すいち、に(1+1=2)」と言って、
十の位の 1 の真下を示して、
「ここ、に(2)」と言います。
「分からない」と聞かれたら、
このような感じで、
答えの出し方だけを
子どもに教えてしまいます。
実際に、指導することで、
読んで理解した学習知と大きく違う
教える体験からの体験知を持つことになります。
この体験知がアレコレと重なることで、
子どもに教えるときの
自信のような
権威のような
不思議な力が付きます。
(基本 -1509)、(+- -834)
関連:2023年12月14日の私のブログ記事
「筆算 7+115= を、
子どもから「分からない」と聞かれて、即、
答えの出し方だけ、しかも、
1ステップだけを教える体験をします。
すると、体験知を得ます」。