誰かから話を聞くことや、
何かの書いた文を読むことや、
動画を観ることなどで、
さまざまなことを知り、理解する学びは、
「入れる学び」です。
算数や数学の計算問題を解くことや、
自分の思いを文にすることや、
自分が何かを話している動画を公開することは、
「出す学び」です。
「入れる学び」と、
「出す学び」は、
向きが逆であるために、
学ぶことができる内容も大きく違います。
「入れる学び」で得たことを、
学習知と言います。
「出す学び」で得たことを、
体験知と言います。
「出す学び」で体験知を得るようにすると、
貴重な学びになります。
さて、
どのようなことをするときも、
「入れる学び」をすることもあれば、
「出す学び」をすることもあります。
学ぶ本人が、
どのような学びにするのかを
選ぶことができます。
例えば、
8+4= の 8 を示して、
「はち」と言って、
4 を示して、
「く、じゅう、じゅういち、じゅうに」と言って、
= の右の余白を示して、
「ここ、じゅうに(12)」と言って、
子どもが、8+4=12 と書いたら、
すぐ、
次の問題 6+7= の 6 を示して、
「ろく」と言って、
・・・・・・・・・と、
5問、10問と、
同じように繰り返す
実況中継型リードを見せるだけにすれば、
「出す学び」になります。
見せるだけではなくて、
見ている子どもを育てることに
注意を向けすぎてしまうと
子どもをアレコレと観察しますから、
「入れる学び」になります。
とても微妙な違いです。
「入れる学び」にするのか、
「出す学び」にするのかは、
学ぶ本人の選択で選ぶ対象と知っていれば、
意識して、
どちらかを選ぶでしょう。
知らないとすれば、
残念なことですが、
子どもに注意を向けすぎてしまうようです。
選ぼうとしていないのに、
「入れる学び」を選んでしまいます。
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