九九の一つの段を、6秒で唱えられるようになると、九九の計算から音が消えます。答えを瞬時に出す感覚を持ちます。

九九は、

式と音で覚えます。

 

2の段の九九でしたら、

式は、

2×1=2 、

2×2=4 、

2×3=6 、

2×4=8 、

2×5=10 、

2×6=12 、

2×7=14 、

2×8=16 、

2×9=18 です。

 

音は、

「にいちがに」、

「ににんがし」、

「にさんがろく」、

「にしがはち」、

「にごじゅう」、

「にろくじゅうに」、

「にしちじゅうし」、

「にはちじゅうろく」、

「にくじゅうはち」です。

 

繰り返し、

「にいちがに」、

「ににんがし」、

・・・・・、

「にくじゅうはち」と、

音を唱えて、九九を覚えます。

 

九九を覚えて、

スラスラ言えるようになると、

九九を計算できます。

 

2×7= を計算するとき、

「にしちじゅうし」と心で唱えてから、

答え 14 を出して、

2×7=14 と書きます。

 

 {\normalsize {  \begin{array}{rr}  37 \\ \:\times  \:\:\:\: 2 \\ \hline \end{array}  }}\\ の計算は、

2 から 7 を見て、

心で、「にしちじゅうし」と唱えてから、

答え 14 を出して、

 {\normalsize {  \begin{array}{rr}  37 \\ \times  \:\:\:\: 2 \\ \hline \:\:\:\:\:4\end{array}  }}\\ と書きます。

 

九九を唱えて覚えていますから、

九九を計算するとき、

心の中で、九九を唱えています。

 

でも、

2の段を、

6秒で唱えられるようになると、

音が消えます。

 

2×7= を見たら、

答え 14 が、

瞬時に心に浮かびます。

 

心の中で、

「にしちじゅうし」と唱える前に、

答え 14 が、出ています。

 

子どもは、

九九の前に、

たし算を修得しています。

 

たし算 7+8= 見たら、

見ただけで、心に、

答え 15 が瞬時に浮かぶようになっています。

 

このような

答えを浮かべる感覚を持っていますから、

2の段の九九を、

6秒で唱えられるようになったとき、

九九の計算の音が消えて、

九九を見たら答えが浮かぶ感覚が育つことを、

子どもは受け入れることができます。

 

音としての九九が、

感覚の九九に育ったら、

 {\normalsize {  \begin{array}{rr}  37 \\ \:\times  \:\:\:\: 2 \\ \hline \end{array}  }}\\ の 2 から 7 を見るだけで、

瞬時に、答え 14 が、

子どもの心に浮かびます。

 

(基本  {\normalsize {α}} -230)、(×÷  {\normalsize {α}} -054)

計算を手掛かりに、例:-2-3=-5 を、見てまねするように育てます。この例は、たし算で計算しています。

-2-3=-5 の例を見て、

まねして、

-2-8= を計算します。

 

この子は、

-2-8=-10 と正しくできます。

 

だから、

「どうやったの?」と、

この子に聞きます。

 

「2+8 を計算して、10」、

「-(マイナス)を付ける」のように、

計算しているはずですが、

自分がした計算なのですが、

言えません。

 

でもこの子は、

計算を手が掛かりに、

例:-2-3=-5 を見ています。

 

例:-2-3=-5 から読み取れることは、

計算だけです。

 

「2と3を、5に変える計算は、たし算」と、

見抜いています。

 

そして、

「-(マイナス)を付けている」と、

理由を知らなくても、

見て取れます。

 

つまり、

どうして、-(マイナス)を付けるのかまで、

推測していないでしょうが、

2+3=5 の計算をしてから、

-(マイナス)を付けて、

-5 としていると見ています。

 

ですが、

「どうやったの?」と聞かれて、

そのまま素直に言葉にするだけなのですが、

言葉にできません。

 

「どうして、-(マイナス)を付けたの?」や、

「どうして、たし算なの?」のように、

計算の理由を聞いていません。

 

どのような計算をしたのかを聞いています。

「どうやったの?」です。

 

計算は、

-2-8=-10 と正しくできていますから、

子どもが、

自分がした計算を言えるように誘います。

 

-2-8=-10 の

2 と、8 と、10 を順に示しながら、

「に(2)と、はち(8)をどうすれば、じゅう(10)?」と聞きます。

 

このように誘えば、

「足した」ことを応えてくれます。

 

さらに、

-2-8=-10 の -10 の - を示して、

「これは、どうやったの?」と聞きます。

 

理由ではなくて、

子どもが、何を見て、どうしたのかを聞きます。

 

例:-2-3=-5 の3つの - を

順に示して、

「マイナス、マイナス、マイナスだから」のようなことを

応えてもらえれば十分です。

 

こうして、

例:-2-3=-5 を、

計算を手掛かりにすると意識して、

見て、まねして、

-2-8= を計算するように育てます。

 

子どもが、

ここまでに知っている計算は、

4つだけです。

 

たし算、ひき算、かけ算、わり算です。

この4つの計算を手掛かりにします。

 

(基本  {\normalsize {α}} -229)、(分数  {\normalsize {α}} -076)

 

9+5= を見たら、答え 14 が心に浮かぶ感覚があります。この感覚を、「く」、「じゅう、じゅういち、じゅうに、じゅうさん、じゅうし」と数える計算を、ひたすら繰り返した結果、自然に持ったようです。

7+8= を見たら、

答え 15 が、

瞬時に心に浮かぶ感覚があります。

 

感覚ですから、

自動的です。

 

このような

たし算の答えを

瞬時に心に浮かべる感覚があることを、

たし算を計算してみれば納得できます。

 

6+8=、4+6=、9+5=、7+5=、8+8=、

4+8=、6+5=、7+9=、8+5=、4+4=、

5+7=、8+7=、9+6=、4+7=、5+6=、

8+4=、7+7=、5+4=、8+6=、7+8=、

5+5=、7+6=、9+8=、7+4=、6+7=。

 

このようなたし算を、

1行目の左から右に順に見て、

たし算の感覚を持っていれば、

答えが、14、10、14、12、16 と

瞬時に心に浮かびます。

 

計算していません。

数えていません。

覚えている答えを思い出していません。

 

ただ見るだけで、

瞬時に心に答えが浮かんでいます。

 

たし算の感覚を持っていなければ、

6+8= を見ても、

ただ、6+8= が見えるだけです。

 

答え 14 が、

瞬時に心に浮かぶようなことは、

起こりません。

 

では、

このようなたし算の感覚を

どのようにして持ったのでしょうか?

 

実は自分のことなのですが、

思い出せないのが、

普通です。

 

いつの間にかに、

たし算の答えが心に浮かぶようになっています。

 

「教えてもらった」と、

思うこともありますが、

どうもそうではなさそうです。

 

仮に、

指で数えて、

たし算の答えを出していたとき、

「こうしたら・・・」と、

答えが心に浮かぶようになる方法を

教えてもらえていたとします。

 

そして、

その通りにしたら、

指で数えて、たし算の答えを出す前に、

答えが心に浮かぶようになったのでしたら、

とても強烈な体験です。

 

ハッキリと覚えているはずです。

何を教えてもらえたのかも、

覚えているはずです。

 

そのようなことはなかったのでしょうから、

「こうしたら・・・」のような

秘密の計算方法があるのではなく、

教えられてできるようになったのでもないようです。

 

あるいは、

「答えを覚えて、思い出せるようになった」と、

思うこともありますが、

どうもそうでもなさそうです。

 

6+8= を見たら、

答え 14 が心に浮かんでいます。

 

思い出している感じではないのです。

 

見るだけです。

何もしていないのです。

瞬時なのです。

 

ですから、

たし算の感覚は、

数える計算を、

ひたすら繰り返した結果、

持ったと思うほうがよさそうです。

 

仮説ですが、

正しいようです。

 

こちらがこの仮説を受け入れて、

子どもの数えるたし算を手伝えば、

「あなたがつかむしかないよ」と覚悟を持って、

効果的にリードできます。

 

こちらが、

「あなたがつかむしかないよ」と覚悟するから、

子どもも同じ覚悟を持ちます。

 

(基本  {\normalsize {α}} -228)、(+-  {\normalsize {α}} -144)

 

四則混合の計算で、分数の+・-・×・÷ を区別できなくなるのが普通です。大混乱です。この「混沌」を、嫌々であっても、心に受け入れることは、計算の発達段階の一つです。

 {\Large\frac{1}{9}} {\Large\frac{1}{6}} )÷15 や、

 {\Large\frac{2}{3}}×4- {\Large\frac{2}{3}} のような四則混合で、

子どもが体験する大混乱は、

何日も、

何週も、

あるいは何か月も続く、

混乱している期間の長い「混沌」です。

 

子どもの個人差の大きなところです。

 

数日で、

「混沌」から抜け出る子もいれば、

数か月もの長い間、

「混沌」が続く子もいます。

 

分数の+・-・×・÷ の計算は、

似ているようにみえて、

少しずつ違います。

 

そして、

少しずつ違うことが、

子どもを大きく混乱させます。

 

例えば、

整数と分数の計算は、

+・-・×・÷ で少しずつ違います。

 

たし算でしたら、

2+ {\Large\frac{1}{4}}=2 {\Large\frac{1}{4}} や、

 {\Large\frac{1}{3}}+1=1 {\Large\frac{1}{3}} ですから、

整数を分数の前に付ければ、答えです。

 

実は、

帯分数です。

 

ひき算でしたら、

2- {\Large\frac{1}{4}}=1 {\Large\frac{4}{4}} {\Large\frac{1}{4}}=1 {\Large\frac{3}{4}} と、

 {\Large\frac{1}{5}}-2=2 {\Large\frac{1}{5}} ですから、

整数から分数を引くときと、

分数から整数を引くときとで、

計算の仕方がかなり違います。

 

もちろん、

ひき算は、

たし算と

計算の仕方が少し違います。

 

かけ算でしたら、

3× {\Large\frac{1}{6}} {\Large\frac{3}{1}}× {\Large\frac{1}{6}} \require{cancel}\displaystyle {\frac{\begin{matrix}1\\\cancel{3}\end{matrix}\,}{1}}× \require{cancel}\displaystyle {\frac{1}{\begin{matrix}\cancel{6}\\2\end{matrix}\,}} {\Large\frac{1}{2}} と、

 {\Large\frac{1}{6}}×3= {\Large\frac{1}{6}}× {\Large\frac{3}{1}} \require{cancel}\displaystyle {\frac{1}{\begin{matrix}\cancel{6}\\2\end{matrix}\,}}× \require{cancel}\displaystyle {\frac{\begin{matrix}1\\\cancel{3}\end{matrix}\,}{1}} {\Large\frac{1}{2}} から、

整数と分数を掛けるときは、

整数を左から掛けても、

右から掛けても、

計算の仕方が似ていて、

答えは同じです。

 

でもかけ算は、

たし算やひき算と

かなり違う計算の仕方です。

 

わり算でしたら、

2÷ {\Large\frac{2}{3}} {\Large\frac{2}{1}}× {\Large\frac{3}{2}} \require{cancel}\displaystyle {\frac{\begin{matrix}1\\\cancel{2}\end{matrix}\,}{1}}× \require{cancel}\displaystyle {\frac{3}{\begin{matrix}\cancel{2}\\1\end{matrix}\,}} {\Large\frac{3}{1}}=3 や、

 {\Large\frac{2}{3}}÷2= {\Large\frac{2}{3}}÷ {\Large\frac{2}{1}} {\Large\frac{2}{3}}× {\Large\frac{1}{2}} \require{cancel}\displaystyle {\frac{\begin{matrix}1\\\cancel{2}\end{matrix}\,}{3}}× \require{cancel}\displaystyle {\frac{1}{\begin{matrix}\cancel{2}\\1\end{matrix}\,}} {\Large\frac{1}{3}} から、

整数を分数で割るときと、

分数を整数で割るときとで、

計算の仕方が少し違います。

 

わり算は、

かけ算に変えてから計算しますから、

似ているようで、少し違います。

 

このように、

整数と分数の +・-・×・÷ の計算で、

これだけ違うのですから、

この計算の違いを、

四則混合の中で、

別けて使えるように育つまで、

子どもの大きな混乱が続きます。

 

もちろん、

子どもが望んでいることではないのですが、

この大きな混乱を、

心に受け入れなければ、

四則混合を計算できるようにならないのです。

 

避けて通ることのできない

回り道のない試練です。

 

つまり、

「サッパリ分からない」、

「何が何だか区別できない」、

「難しすぎる」のような気持のまま

四則混合を計算し続けます。

 

このような「混沌」を、

嫌々であっても、

心に受け入れて、

四則混合を計算し続ける態度は、

算数・数学の計算の発達段階の一つです。

 

(基本  {\normalsize {α}} -227)、(分数  {\normalsize {α}} -075)

 

小学算数のまとめの計算:四則混合で、分数の +・-・×・÷ の計算が区別できなくなって、ゴチャゴチャに混乱したら、とてもいいことです。心を広げる体験ができます。

 {\Large\frac{1}{9}} {\Large\frac{1}{6}} )÷15 や、

(2- {\Large\frac{1}{4}} )× {\Large\frac{8}{21}} や、

(2- {\Large\frac{5}{6}} )÷ {\Large\frac{7}{8}} や、

 {\Large\frac{2}{3}}×4- {\Large\frac{2}{3}} や、

 {\Large\frac{1}{3}}÷3- {\Large\frac{5}{18}} の四則混合の計算があります。

 

小学算数の計算のまとめのような計算です。

 

分数の +・-・×・÷ を計算できます。

こうなってから、四則混合を習います。

 

そして、

四則混合で習うことは、

一つです。

 

計算順を決めて、

その順に計算していくことです。

 

 {\Large\frac{1}{9}} {\Large\frac{1}{6}} )÷15 でしたら、

かっこの中の + が先、外の ÷ が後の

計算順です。

 

 {\Large\frac{2}{3}}×4- {\Large\frac{2}{3}} でしたら、

左の × が先、右の - が後の計算順です。

 

子どもはじきに、

計算順を決めることができるようになります。

 

ところが、

できたはずの

分数の +・-・×・÷ の計算で、

大きく混乱する子が多いのです。

 

さて、

 {\Large\frac{1}{9}} {\Large\frac{1}{6}} )÷15 の1番目の計算の

 {\Large\frac{1}{9}} {\Large\frac{1}{6}} は、通分して、

 {\Large\frac{2}{18}} {\Large\frac{3}{18}} {\Large\frac{5}{18}} と計算します。

 

この答え  {\Large\frac{5}{18}} から、

2番目の計算  {\Large\frac{5}{18}}÷15 を、

15 を、 {\Large\frac{15}{1}} の分数にして、

 {\Large\frac{5}{18}}÷ {\Large\frac{15}{1}} {\Large\frac{5}{18}}× {\Large\frac{1}{15}} のかけ算に変えて、

途中約分して、

 \require{cancel}\displaystyle {\frac{\begin{matrix}1\\\cancel{5}\end{matrix}\,}{18}}× \require{cancel}\displaystyle {\frac{1}{\begin{matrix}\cancel{15}\\3\end{matrix}\,}} {\Large\frac{1}{54}} と計算します。

 

また、

(2- {\Large\frac{1}{4}} )× {\Large\frac{8}{21}} の1番目の計算の

2- {\Large\frac{1}{4}} は、2 を、1+1 に分けて、

右の 1 を、 {\Large\frac{4}{4}} の分数に変えると、

2=1 {\Large\frac{4}{4}} に変わり、

2- {\Large\frac{1}{4}}=1 {\Large\frac{4}{4}} {\Large\frac{1}{4}}=1 {\Large\frac{3}{4}} と計算できます。

 

この答え 1 {\Large\frac{3}{4}} から、

2番目の計算 1 {\Large\frac{3}{4}}× {\Large\frac{8}{21}} を、

帯分数 1 {\Large\frac{3}{4}} を、仮分数  {\Large\frac{7}{4}} に変えて、

 {\Large\frac{3}{4}}× {\Large\frac{8}{21}} {\Large\frac{7}{4}}× {\Large\frac{8}{21}} としてから、

途中約分して、

 \require{cancel}\displaystyle {\frac{\begin{matrix}1\\\cancel{7}\end{matrix}\,}{\begin{matrix}\cancel{4}\\1\end{matrix}\,}}× \require{cancel}\displaystyle {\frac{\begin{matrix}2\\\cancel{8}\end{matrix}\,}{\begin{matrix}\cancel{21}\\3\end{matrix}\,}} {\Large\frac{2}{3}} と計算します。

 

このように、

分数の +・-・×・÷ を

キチンと区別して計算するのですから、

何が何か分からなくなるのが普通です。

 

とても混乱します。

 

ですが、

いいことです。

 

大きく混乱して、

分数の +・-・×・÷ の計算が、

ゴチャゴチャになってしまったら、

そのゴチャゴチャの気持ちを

ソックリそのまま受け入れてしまえばいいのです。

 

つまり、

大きく混乱した気持ちの悪い状態を、

受け入れる広い心を育てるチャンスなのです。

 

中学の数学や、

高校の数学になると、

もっともっと大きく混乱することがあります。

 

中学数学の前の

小学算数の計算の総まとめの分数の四則混合で、

やや大きな混乱を体験することで、

ゴチャゴチャの気持ちを受け入れるだけの

少し広い心を持つ練習をできます。

 

少し、心を広げると、

分数の +・-・×・÷ の計算を

区別できなくなったゴチャゴチャの状態を、

受け入れることができます。

 

大きく混乱した子が、

こちらが計算してみせる実況中継を見ることで、

少しずつ、

分数の +・-・×・÷ の計算を

区別できるようになって、

心に受け入れたゴチャゴチャの状態が、

少しずつ整然とした状態に変わることを

体験できます。

 

こちらは、

子どもがゴチャゴチャになった状態を

とても貴重な体験をしていると

穏やかに解釈して、

必ず、少しずつ落ち着くと知っていて、

諦めずにリードし続けます。

 

グチャグチャな混沌から抜け出る

貴重な体験を子どもがしていると、

こちらが落ち着いていれば、

子どもはじきに混乱から抜け出てしまいます。

 

(基本  {\normalsize {α}} -226)、(分数  {\normalsize {α}} -074)

 

「結果に責任を持つ教え方」をすれば、子どもは、正しい答えを出す計算の仕方や、速い計算に責任を持つようになります。

「計算の仕方を教える」と、

「正しい答えを出せるように教える」は、

少し違います。

 

7+4= のたし算の計算を教えます。

こちらが計算してみせる実況中継です。

 

7 を示して、

「しち」と声に出して読み、

4 を示して、

「はち、く、じゅう、じゅういち」と声に出して数え、

= の右を示して、

「ここ、じゅういち(11)」と教えます。

 

見て聞いていた子は、

7+4=11 と書きます。

 

別のたし算、

3+4= や、9+4= を

同じように計算してみせます。

 

「さん」、

「し、ご、ろく、しち」で、

3+4=7 や、

「く」、

「じゅう、じゅういち、じゅうに、じゅうさん」で、

9+4=13 です。

 

3~4問や、

5~6問で、

「あぁ、なるほど!」となった子は、

自力で計算し始めます。

 

目的が、

「計算の仕方を教える」でしたら、

計算し始めたのですから、

「教える」を満たしています。

 

目的が、

「正しい答えを出せるように教える」でしたら、

正しい答えを書いているのかどうかを見て、

正しい答えが書いてあれば、

「教える」を満たしています。

 

このように、

少し違います。

 

こちらの教え方が違うのですから、

子どもの受け取り方も、

少し違います。

 

目的:「計算の仕方を教える」で習うと、

計算の仕方を知ることにこだわります。

 

目的:「正しい答えを出せるように教える」で習うと、

正しい答えを出すことにこだわります。

 

子どもの焦点が、

このように違います。

 

違う話題ですが、

「計算を速めるように教える」と、

「計算が速くなるように教える」の2つも、

似ているようで、

少し違います。

 

14-5= のひき算を、

14 から始めて、

5 つ戻るように数えて計算している子です。

 

「じゅうし」としてから、

「じゅうさん、じゅうに、じゅういち、じゅう、く」と、

5 つ戻るように数えて、

答え 9 を出します。

 

「もっと速く数える!」のように促すのが、

「計算を速めるように教える」教え方です。

 

子どもは、

「もっと速く数えるのか・・・」と理解します。

 

8-5= の数え方、

「しち、ろく、ご、し、さん」が、

速くなることもあれば、

変わらないこともあります。

 

もちろん子どもは、

速く数えようとしています。

 

「じゅうさん、じゅうに、じゅういち、じゅう、く」と、

5 つ戻る速い数え方を、

実況中継で見せてしまい、

「この速さで数える!」と押し付けてしまいます。

 

やや強引ですが、

「計算が速くなるように教える」教え方です。

 

このように、

「教えたことに責任を持つ教え方」もあれば、

「結果に責任を持つ教え方」もあります。

 

面白いことに、

こちらが、「結果に責任を持つ教え方」をすれば、

子どもは自然と、

結果に責任を持つようになります。

 

子どもが、

自分の計算に責任を持つようになれば、

正しい答えを出すようになりますし、

計算のスピードを速めるようになります。

 

(基本  {\normalsize {α}} -225)、(+-  {\normalsize {α}} -143)

 

2020年09月19日(土)~09月25日(金)のダイジェスト。

20年09月19日(土)

 

8+4= や、

12-8= のような問題の答えを浮かべる感覚

(たし算の感覚や、ひき算の感覚)は、

子どもが自力でつかみます。

 

感覚をつかむ子どもを手助けする

経験上のコツがあります。

 

 

20年09月20日(日)

 

算数や数学の計算に、

答えの出し方の発達段階があります。

 

「数えて答えを出す計算ができるようになる」、

「習慣のように数えて計算する」、

「数える計算に夢中になる」、

「一部分の問題で数える前に答えが心に浮かぶ」、

「答えの浮かぶ問題が増える」、

「すべてのたし算で、数える前に答えが心に浮かぶ」、

たし算でしたら、このような発達段階です。

 

 

20年09月21日(月)

 

5+1= のたし算を教えるとき、

「次の数だよ」は、

正しい説明ですが、

子どもの負担を増やす恐れがあります。

 

5+1= の 5 を見て、

「ご」と読んで、

「ろく」と数えて、

5+1=6 と書くだけではなくて、

「5 の次の数が、6 である」ことも、

理解しなければならなくなります。

 

 

20年09月22日(火)

 

答えの出し方だけに

狭く絞った実況中継を見せます。

 

例えば、

3+1= のようなたし算でしたら、

3 を無言で示して、

「さん」と声に出して読み、

1 を無言で示して、

「し」と声に出して数えて、

= の右を無言で示して、

「ここ、し(4)」のような教え方です。

 

何問、見せたら、

自力で計算できるようになったのかが、

子どもの計算の発達段階の育ちの記録です。

 

 

20年09月23日(水)

 

筆算のかけ算の計算手順をつかむことは、

計算の発達段階の一つです。

 

 {\normalsize {  \begin{array}{rr}  38 \\ \:\times  \:\:\:\: 2 \\ \hline \end{array}  }}\\ でしたら、

2 から 8 を見て、

2×8=16 と計算して、

6 を書いて、

1 を繰り上がり数と覚えて、

2 から 3 を見て、

2×3=6 と計算して、

繰り上がり数 1 を足して、

7 にしてから書きます。

このような計算手順です。

 

繰り上がりの計算を、

「たし算だ!」と気付くことも、

一つの発達段階です。

 

 

20年09月24日(木)

 

プツプツと区切った計算を実況中継すると、

子どもは、計算手順として、

つなげることを楽しみます。

 

 

20年09月25日(金)

 

「見てまねする力」や、

「繰り返すことができる力」は、

子どもが生まれながらに持っている力です。

 

「伸びるように伸ばしてあげたい」と強く思えば、

これらの力を見ることができます。