計算を手掛かりに、例:-2-3=-5 を、見てまねするように育てます。この例は、たし算で計算しています。

-2-3=-5 の例を見て、

まねして、

-2-8= を計算します。

 

この子は、

-2-8=-10 と正しくできます。

 

だから、

「どうやったの?」と、

この子に聞きます。

 

「2+8 を計算して、10」、

「-(マイナス)を付ける」のように、

計算しているはずですが、

自分がした計算なのですが、

言えません。

 

でもこの子は、

計算を手が掛かりに、

例:-2-3=-5 を見ています。

 

例:-2-3=-5 から読み取れることは、

計算だけです。

 

「2と3を、5に変える計算は、たし算」と、

見抜いています。

 

そして、

「-(マイナス)を付けている」と、

理由を知らなくても、

見て取れます。

 

つまり、

どうして、-(マイナス)を付けるのかまで、

推測していないでしょうが、

2+3=5 の計算をしてから、

-(マイナス)を付けて、

-5 としていると見ています。

 

ですが、

「どうやったの?」と聞かれて、

そのまま素直に言葉にするだけなのですが、

言葉にできません。

 

「どうして、-(マイナス)を付けたの?」や、

「どうして、たし算なの?」のように、

計算の理由を聞いていません。

 

どのような計算をしたのかを聞いています。

「どうやったの?」です。

 

計算は、

-2-8=-10 と正しくできていますから、

子どもが、

自分がした計算を言えるように誘います。

 

-2-8=-10 の

2 と、8 と、10 を順に示しながら、

「に(2)と、はち(8)をどうすれば、じゅう(10)?」と聞きます。

 

このように誘えば、

「足した」ことを応えてくれます。

 

さらに、

-2-8=-10 の -10 の - を示して、

「これは、どうやったの?」と聞きます。

 

理由ではなくて、

子どもが、何を見て、どうしたのかを聞きます。

 

例:-2-3=-5 の3つの - を

順に示して、

「マイナス、マイナス、マイナスだから」のようなことを

応えてもらえれば十分です。

 

こうして、

例:-2-3=-5 を、

計算を手掛かりにすると意識して、

見て、まねして、

-2-8= を計算するように育てます。

 

子どもが、

ここまでに知っている計算は、

4つだけです。

 

たし算、ひき算、かけ算、わり算です。

この4つの計算を手掛かりにします。

 

(基本  {\normalsize {α}} -229)、(分数  {\normalsize {α}} -076)