9+5= を見たら、答え 14 が心に浮かぶ感覚があります。この感覚を、「く」、「じゅう、じゅういち、じゅうに、じゅうさん、じゅうし」と数える計算を、ひたすら繰り返した結果、自然に持ったようです。

7+8= を見たら、

答え 15 が、

瞬時に心に浮かぶ感覚があります。

 

感覚ですから、

自動的です。

 

このような

たし算の答えを

瞬時に心に浮かべる感覚があることを、

たし算を計算してみれば納得できます。

 

6+8=、4+6=、9+5=、7+5=、8+8=、

4+8=、6+5=、7+9=、8+5=、4+4=、

5+7=、8+7=、9+6=、4+7=、5+6=、

8+4=、7+7=、5+4=、8+6=、7+8=、

5+5=、7+6=、9+8=、7+4=、6+7=。

 

このようなたし算を、

1行目の左から右に順に見て、

たし算の感覚を持っていれば、

答えが、14、10、14、12、16 と

瞬時に心に浮かびます。

 

計算していません。

数えていません。

覚えている答えを思い出していません。

 

ただ見るだけで、

瞬時に心に答えが浮かんでいます。

 

たし算の感覚を持っていなければ、

6+8= を見ても、

ただ、6+8= が見えるだけです。

 

答え 14 が、

瞬時に心に浮かぶようなことは、

起こりません。

 

では、

このようなたし算の感覚を

どのようにして持ったのでしょうか?

 

実は自分のことなのですが、

思い出せないのが、

普通です。

 

いつの間にかに、

たし算の答えが心に浮かぶようになっています。

 

「教えてもらった」と、

思うこともありますが、

どうもそうではなさそうです。

 

仮に、

指で数えて、

たし算の答えを出していたとき、

「こうしたら・・・」と、

答えが心に浮かぶようになる方法を

教えてもらえていたとします。

 

そして、

その通りにしたら、

指で数えて、たし算の答えを出す前に、

答えが心に浮かぶようになったのでしたら、

とても強烈な体験です。

 

ハッキリと覚えているはずです。

何を教えてもらえたのかも、

覚えているはずです。

 

そのようなことはなかったのでしょうから、

「こうしたら・・・」のような

秘密の計算方法があるのではなく、

教えられてできるようになったのでもないようです。

 

あるいは、

「答えを覚えて、思い出せるようになった」と、

思うこともありますが、

どうもそうでもなさそうです。

 

6+8= を見たら、

答え 14 が心に浮かんでいます。

 

思い出している感じではないのです。

 

見るだけです。

何もしていないのです。

瞬時なのです。

 

ですから、

たし算の感覚は、

数える計算を、

ひたすら繰り返した結果、

持ったと思うほうがよさそうです。

 

仮説ですが、

正しいようです。

 

こちらがこの仮説を受け入れて、

子どもの数えるたし算を手伝えば、

「あなたがつかむしかないよ」と覚悟を持って、

効果的にリードできます。

 

こちらが、

「あなたがつかむしかないよ」と覚悟するから、

子どもも同じ覚悟を持ちます。

 

(基本  {\normalsize {α}} -228)、(+-  {\normalsize {α}} -144)