子どもは自然にたし算の指を使わなくなります。そうなるのを待ちます。

7+8 を見ただけで、

答え15が頭に浮かぶ感覚があります。

暗算のたし算の感覚です。

 

子どもは、この感覚を

自力でつかまなければなりません。

 

この不思議な感覚を、

言葉で説明しようとしてもできません。

 

頭にたし算の答えが浮かぶでは、

説明になりません。

 

つまり、

このたし算の感覚を教えて、

子どもに持たせることができるのでしたら、

そうしたいのですが、

教えることができません。

 

子どもがつかむしかありません。

 

つかんでいるこちらが、

つかんでいない子どもに

教えようとしても教えようがないのです。

 

自分がどのようにして、

頭に答えを浮かべているのか分からないのです。

 

いつ頃つかんだのか、

どのようにしてつかんだのかを

忘れています。

 

正しい答えが頭に浮かぶことは、

確かです。

 

つかんでいるこちらは、

誰かからたし算の感覚を教えられていません。

 

もし教えられていたとしても、

どのように教えられて、

たし算の感覚をつかんだのかを

少しも思い出せません。

 

その昔、自力でつかんだのです。

 

誰かから教えられて、

頭に答えを浮かべてしまう感覚を

つかんだのではないようです。

 

だから目の前の子どもも、

昔のこちらと同じです。

 

やがて必ずつかむだろうと、

先に信じてしまって、

ジッと待ってあげればいいのです。

 

ですが、

ただジッと待つことは、

できそうでできません。

 

指で数えて答えを出している

目の前の子を見ると、

モタモタとしているように感じます。

 

頭に答えが浮かぶ感覚を持っているこちらと

比べてそう感じます。

 

5+8 を、子どもが指で数えて、

答え13を出そうとしているとき、

こちらは、5+8 を見ただけで、

答え13が頭に浮かんでいます。

 

子どもが速いスピードで、

指で数えていても、

モタモタとしているように見えてしまいます。

 

「いつまで指を使っているの」や、

「指を使わずに計算してごらん」などと

言ってしまいます。

 

子どもには大きなプレッシャーです。

 

指で数えて答えを出している今、

子どもは焦りを感じます。

 

必要なだけタップリと

指で数えて計算したら、

自然に指を使わなくなります。

 

ですが、

周りから焦りを感じさせられると、

指が取れにくくなります。

 

指で数えて計算することに

集中できなくなります。

 

焦っているこちらのイライラに、

子どもは気持ちを向けてしまいます。

 

指で数えて計算している子どもも、

指を使わないのに

答えを書いている周りの人を見ています。

 

そして、

答えを出す魔法のような方法に

何となくあこがれています。

 

自分もああなりたいと、

思っています。

 

指で数えている子どもを、

周りが見守るだけにすれば、

子どもは今の計算に集中できます。

 

子どもも焦らずに済みます。

 

指で数えて計算した答えと、

問題が組になって

心に残り始めます。

 

こうなると、

指を取りたいと、

子ども自身が強く思い始めます。

 

そして自然に指が取れていきます。

ジッと見守ればこうなります。

 

指で数えて答えを出す目の前の子は、

昔のこちらと同じです。

 

必ず指を使わなくなります。

 

問題を見たら、

頭に答えが浮かぶ感覚をつかむと、

指で数えている今、

先に信じてしまいます。

 

そして、

そうなるのを待ちます。

 

参照:

蔵一二三、「計算の教えない教え方 たし算ひき算」(2018)。

アマゾン。

計算の教えない教え方 たし算ひき算―たかが計算 されど算数の根っこ そして人育て