子どものことは、子どものことです。こちらは、子どもに影響を与える働きかけ方を選ぶことができます。

算数の計算問題を目の前にして、

子どもが、

何をしていようが、

していなかろうが、

それは子どものことです。

 

こちらが、

コントロールできそうにみえますが、

コントロールできません。

 

子どものことは、

子ども自身にしかコントロールできません。

 

でも、

子どもが、

自分をコントロールするように、

働きかけることができます。

 

この子に、

こちらが、何をするのか、

何をしないのかが、

こちらのことです。

 

こちら自身のことですから、

自分の習慣に反していることでも、

やりたくないなと感じていることでも、

自分で100%コントロールできます。

 

何をするのか、

何をしないのかを、

自分が自由に選べます。

 

こちらが、

この子とどのような人間関係になりたいのかや、

どのような子に育ってほしいと思っているのかなどが、

こちらの選び方を決めています。

 

少し具体的な例で考えてみます。

 

15-9= や、

13-4= のようなひき算で、

集中が切れてボ~ッとしています。

 

この子がしていることは、

「集中を切らして、ボ~ッとすること」です。

 

この子がしていないことは、

「目の前に置いてあるひき算の計算」です。

 

これが、

この子のしていることと、

していないことです。

 

していることと、

していないことをコントロールしているのは、

ほとんど意識はしていないでしょうが、

この子自身です。

 

「ボ~ッとすること」を選んで、

そして、

自分をコントロールして、

ボ~ッとしています。

 

「ひき算の計算から離れる」ことを選んで、

そして、

自分をコントロールして、

ひき算の計算から離れています。

 

さて、

この子を見ているこちらは、

この子に何をするのかや、

何をしないのかを選びます。

 

「じきに計算に戻るだろう」と判断して、

何もしないことを選ぶことができます。

 

あるいは、

止まっている計算 15-9= に、

この子を戻そうとして、

何らかの働きかけを選ぶことができます。

 

「どうしたの?」、

「できるでしょ・・」のように、

言葉で促すことは、

働きかけの一つです。

 

でもこれは、

「計算していない」と、

子どもをネガティブに見ている危険がありますから、

言い方にマイナスの感情を乗せてしまいます。

 

仮に、

マイナスの感情を乗せずに、

サラリと話すことができるとしても、

言葉で促すことは、

この子をコントロールして、

この子を動かそうとする手伝い方ですから、

「言われたから、計算に戻る子」を育ててしまいます。

 

指示することと、

指示されることの人間関係になってしまいます。

 

少し違う働きかけ方があります。

 

こちらの計算の実況中継を

見せるだけの働きかけ方です。

 

「あなたと同じやり方の計算を見せます」、

「計算を見ることで、

計算する気になったらうれしいけれども・・」。

このような気持ちで、実況中継します。

 

実況中継の実例です。

 

突然、

15-9= の = の右を示して、

「ろく(6)」です。

 

見て聞いた子は、

15-9=6 と、書いてくれます。

 

でも、

ボ~ッとしている時間が長くて、

こちらの働きかけ方が、

突然ですから、

子どもは、何もしないことがあります。

 

「ここ、ろく(6)、書いて」と促します。

こうすると、書いてくれます。

 

「そう」と受けてから、

9 と、6 と、15 を順に示しながら、

「く足すろく、じゅうご(9+6=15)」です。

 

このような実況中継を、

「計算に戻っても、

戻らなくてもあなたの自由だからね」の気持ちで、

3~4問見せて、

突然、やめます。

 

子どもをコントロールできるのは、

子ども自身であることを尊重しています。

 

ただ、

こちらの計算の実況中継を見せているだけです。

 

見せるだけの人と、

まねして計算す人の人間関係になりますから、

信頼関係に発展する可能性があります。

 

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