「教えることで学ぶ」ようです。
教える人と、
教えられる人の体験は、
大きく違います。
教える人は、
相手の反応をリアルタイムで見ながら、
相手が「分かった」となるように教えます。
子どもが、
子どもに教えるとき、
教える子どもは、
相手のことを実によく観察しています。
ですから、
教える内容の伝え方を、
相手の反応に合わせて、
次々に工夫するプロセスで、
教える内容の理解が深まり、
「教えることで学ぶ」ようになります。
実は、
算数の計算の教え方で、
子どもが、
自分自身に教えるようになる
教え方があります。
それが、
こちらの計算を見せるだけの
実況中継の教え方です。
例えば、
523×7= のようなかけ算を、
筆算 に書き換えたりしないで、
523×7= の形のまま、
筆算のように計算する計算を
実況中継で見せる教え方です。
「筆算をイメージして、
筆算のように計算できます」、
「筆算を書かなくても、
筆算と同じ計算をできます」、
「下から上に見る向きが、
右から左を見る向きに変わります」のように、
言葉で説明しません。
ただ、
こちらが計算してしまい、
その計算を実況中継して、
子どもに見せるだけです。
ですが、
523×7= を、
筆算のように計算しますから、
子どもをリードするこちらは、
頭の中に、
のような形を見ています。
こちらが頭の中で見ていることですから、
計算の実況中継を見る子どもには、
のような形は見えません。
そうですが、
こちらの実行中継を、
見て、聞くことで、
頭の中に のような形を、
何となくですが見るようになって、
これを利用して計算していることを発見する
自助努力を子どもはしなければなりません。
「あぁ、そうか!」や、
「そういうことなのか!」のような
発見の体験です。
言葉で説明されて、
理解する自助努力に比べて、
かなり大変ですが、
それだけに大きな学びになります。
以下は、
実況中継で、
計算を見せる一つの見本です。
523×7= の 7 と 3 を順に示しながら、
「7×3=21」、
523×7= の = の数字 3~4 つ分右を示して、
「ここ、1」、
「指、2」です。
見て、聞いている子どもの心は、
「7 から 3 を見るのか・・」、
「九九で、1 だけを書いている」、
「2 を覚えるらしい」、
「何かと似ているような・・」です。
心の中で、ワイワイガヤガヤと、
誰が先生で、
誰が生徒かハッキリとしない大混乱です。
子どもにも、
自分の中に、
自分をリードするリーダーがいます。
でも、
このようなワイワイガヤガヤ状態では、
誰がリーダーで、
誰がフォロワーか分からない混乱状態です。
それでも、
523×7= 1 と書いて、
指を 2 本伸ばします。
子どもが書いたのを見届けてから、
こちらは、
実況中継を続けます。
523×7= 1 の 7 と 2 を順に示して、
「7×2=14」、
子どもが指に取っている 2 を触って、
「2 を足して、16」、
523×7= 1 の 答え 1 の左手前を示して、
「ここ、6」、
「指、1」です。
見て、聞いている子どもの心は、
ワイワイガヤガヤの大混乱が続きます。
「7 から左を見ている」、
「繰り上がりのように、2 を足している」、
「1 の左の方に書いている」です。
混乱しながらも、
523×7= 61 と書きます。
こちらの実況中継を続けます。
523×7= 61 の 7 と 5 を順に示して、
「7×5=35」、
子どもが指に取っている 1 を触って、
「1 を足して、36」、
523×7= 61 の 答え 61 の左手前を示して、
「ここ、36」です。
子どもの内心での混乱が続きますが、
それでも、
筆算 と似た計算を感じ始めています。
523×7=3661 と、
子どもは書きます。
見て、聞いて、
心の中の混乱が続きますが、
子どもが、答えを書くことで、
混乱は治まり始めます。
書くことが持っている不思議な力です。
子どもには個人差がありますから、
1 問で理解できる子もいれば、
2~3 問で理解する子もいます。
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