数唱を唱えているこちら自身を見せます。すると子どもは、こちらを見て、こちらと同じように、数唱を唱える自分になろうとします。

こちらの計算の実況中継を、

子どもに見せるだけの

算数や数学の計算の仕方の教え方です。

 

「実況」の内容は、

計算の説明ではありません。

 

こちらが何を見て、

どのようなことをして・・のように、

計算をしているこちら自身を見せる「実況」です。

 

つまり、

正確に表現すれば、

計算しているこちら自身を見せています。

 

「計算の仕方」という

計算をする個人から引き離された

抽象的なことではなくて、

計算している個人そのものを見せます。

 

だから、

教えているのではなくて、

実は、

計算しているこちら自身を

計算を実況中継しながら、

見せているだけなのです。

 

実況中継の内容は計算ですが、

計算を見せているのではなくて、

計算の答えを出している

こちら自身を見せています。

 

例えば、

たし算の基礎になる数唱の教え方です。

 

子どもの隣で、

「いち、に、さん、し、ご、・・」と、

数唱を唱えます。

 

細かいことですが、

数を区切るような唱え方です。

 

「いち」と、

「に」を分けて、

さらに、「さん」も区別できるように、

スポーツのコーチの掛け声のように、

「いち」、「に」、「さん」、「し」、「ご」、・・と、

区切るような唱え方です。

 

口を動かして、

声に出して、

「いち、に、さん、し、ご、・・」と、

唱えているこちら自身を見せています。

 

こうしているこちらを、

はたから見ると、

数唱を唱えて聞かせているように見えますが、

そうではありません。

 

とても微妙なのですが、

「いち、に、さん、し、ご、・・」と、

数唱を唱えているこちら自身を

見せています。

 

面白いことに、

子どもは、

数唱を唱えているこちら自身を見ています。

 

「いち、に、さん、し、ご、・・」と、

数唱を唱えているこちら自身を見て、

数唱を唱えているこちらのように、

子ども自身が、

「いち、に、さん、し、ご、・・」と、

唱えられるようになろうとします。

 

子どもは、

数唱を唱えられるようになろうとしていません。

 

こちらがしているように、

数唱を唱えられるこちらのように、

なろうとしています。

 

さて、

子ども、

特に、幼児は、

好奇心が旺盛で、

そして、

まねが大好きです。

 

こちらが、

「いち、に、さん、し、ご、・・」と、

子どもの隣で、

数唱を唱えているこちら自身を見せるだけで、

子どもは、好奇心を刺激されて、

こちら自身をまねしようとしますから、

もちろん、数唱自体を聞きます。

 

自分にはできないことですし、

でも、

できそうなことだからです。

 

毎日、

子どもの隣で、

「いち、に、さん、し、ご、・・」と、

数唱を唱えているこちらを見せれば、

すぐにまねして、

子どもも、

「いち、に、さん、し、ご、・・」と、

数唱を唱えている自分になります。

 

つまり子どもは、

こちらのしていること、

つまり、

「いち、に、さん、し、ご、・・」と、

唱えているこちらをまねしています。

 

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