計算問題を解いている子の態度から、
「やる気がない」と感じることがあります。
ダラダラと計算しています。
集中が切れて、ボ~ッとしています。
鉛筆をクルクル回して遊んでいます。
このような態度です。
この「やる気のなさ」のことを、
チョットだけ話します。
算数や数学の計算に上達するプロセスは、
山あり谷ありが続きます。
小学校の算数の計算は、
たし算、ひき算、かけ算、わり算、
分数と進みます。
山あり谷ありが続きます。
平坦なところは、
ほとんどありません。
集中して、
楽にスラスラと計算できることの方が、
実は少ないのです。
子どもの態度から、
「やる気がない」と感じることの方が、
多いのです。
「今日はどうしたの?」、
「やる気がないみたいだが・・」、
ではないのです。
「今日も、やる気を感じない」が、
普通なのです。
だから、
こちらは、
こういうものだと受け入れて、
「やる気がない」と感じる子を手伝い、
「やる気」のない態度をいじらないで、
一定のスピードの計算に、
淡々と戻すリードをします。
「やる気」をとやかく言われないで、
ただ、
一定のスピードの計算に、
戻ることだけのリードをされるのですから、
子どもは、
こちらを信頼して、
こちらのリードを受け入れます。
一定のスピードの計算になれば、
計算して答えを出すことで、
出した本人だけが学ぶことができることを、
子どもは確実に学びます。
さて、
「また今日も、やる気がない」、
「また今日も、やる気がない」、
・・・・・と、
1 カ月、
2 カ月の長期間、感じさせるような
厄介な計算があります。
その
代表的な 3 箇所です。
3+5=、6+4=、5+9=、7+5=、8+7=、
4+8=、5+6=、9+7=、8+3=、4+4=。
このようなたし算の
指が取れるまでが、
1 番目の例です。
子どもは、
数える計算に慣れています。
3+5= の 3 を、
「さん」と心の中で読み、
5 を見て、
4、5、6、7、8 と
心の中で数えて、
答え 8 を出す計算です。
楽にスラスラとできるのに、
来る日も、
来る日も、計算が続きます。
ウンザリしています。
どうしても、ダラダラとなります。
やる気も出ません。
このような子に、
こちらは、
子どもの「やる気」に一切触れないで、
子どもと同じように、
数える計算をリードします。
5~6 問、
7~8 問とリードして、
一定のスピードの計算に戻します。
や、
のような筆算のかけ算に、
慣れるまでが、
2 番目の例です。
子どもは、
計算の仕方を知っています。
は、
4×9=36 として、
6 を、 書いて、
3 を指に取り、
4×2=8 に、
8+3=11 としてから、
と書きます。
2 回の九九の後、
繰り上がりのたし算への
切り替えに戸惑っています。
計算から逃げて、
ボ~ッとすることが多く、
「やる気がない」ように見えます。
このような子に、
子どもと同じような計算の仕方で、
計算に戻る手伝いをします。
そして、
一定のスピードの計算に戻して、
2 回の九九の後の
繰り上がりのたし算への切り替えが、
一定のスピードでできる子に
育つ手助けをします。
= や、= の約分の
感覚をつかむまでが、
3 番目の例です。
子どもは、
約数のリスト:
2、3、5、7、11 を、覚えています。
= は、
約数のリストの 2 で約分できます。
= です。
まだ、
2 で約分できます。
計算します。
== です。
この答え は、
もう約分できませんから、
問題 = の答えです。
計算はできますが、
とてもギクシャクとしますから、
約分計算が嫌になります。
このような子に、
ただ一定のスピードの約分計算をリードします。
= の分子 12 を示して、
「2 で割れる」、
分母 18 を示して、
「2 で割れる」、
「2 で約分」・・のようにリードして、
== と計算してしまいます。
3~4 問や、
5~6 問リードして、
一定のスピードの計算に戻します。
さて、
「やる気がない」と感じさせる態度の子に、
子どもの「やる気」には触れないで、
一定のスピードの計算に、
戻るだけのリードを、
何回も繰り返します。
同じような行動を、
こちらが繰り返すことで、
子どもは、
一定のスピードの計算に戻るだけではなくて、
こちらのリードの仕方自体を、
習慣としてまねするようになります。
つまり、
計算する気にならないとしても、
自分の「やる気」自体に触らないで、
ただ計算することだけに
気持ちを集中してしまう習慣です。
年単位の長い時間が掛かりますが、
このような習慣が育つと、
「やる気」のでない計算に対して、
計算することだけに集中して、
乗り越えるようになります。
(基本 -476)、(+- -282)、
(×÷ -105)、(分数 -196)